今から20年ほど前、まだ個人のブログというのは一般的ではなく、一般の人は「自分の情報」を世界に向けて発信することは難しかった。さらに20年前にはインターネットもなく、私たち科学者は研究をして新しいことを発見したら、「学会」で発表することと、「学会誌」に投稿するが「習慣」になっていた。
まれには新聞や雑誌が研究の結果を載せてくれることがあったし、かなり前には研究発表より「書籍を出す」時代もあった。今でも文化系の分野などでは論文を100報出すより、しっかりした書籍を書く方を尊重する分野もある。
科学(自然科学)では、研究結果をできるだけ早く世に出すことが求められるので、書籍を書くより学会発表や論文の方が重要と考えられてきた。事実、ノーベル賞や国内の学会賞なども論文の内容で決まってきたし、立派な論文を40ぐらい出すと大学の教授になることもできた。
考えてみると、マックスウェーバーの言うように「学問が職業となり」、「学問的興味」よりも「教授になりたいから研究して論文を出す」というようになり、さらに変質して「論文を出して給料をあげる」とか「研究費をたっぷりもらって海外で遊ぶ」ということにもなってきた。
論文を評価してある人を大学教授にするのは「教授会」だから、いわば「村」である。その村に徐々に「村の掟」ができて、学会誌にも「レベルの高い学会誌」とか、ネイチャーのように民間の出版社が出している雑誌でも、有名な雑誌にするという経営戦略が成功して、「ネイチャーに出れば評価される」ということに成功した学術誌もでてきた。
さらに村の掟は詳細になり、雑誌ごとにポイントが決まったり、日本語の論文より外国の論文に高い点数をつけたり、5年以内に何報だしていなければダメとか、筆頭著者でなければ評価しない・・・などとものすごい数の「村の掟」ができて、それを「そっと教えてくれる」先生が必要となった。公的な機関が議論して決めた掟ではなく、なんとなく決まっていったのである。
かくして、STAP事件が起きるまで、私たち科学者は、すっかり時代遅れとなり、村の掟を「倫理」と称して大切にし、学問を商売にしてしまった。さらに自己増殖した掟は「実験ノートをつけなければならない」とか、「論文を一目でも見たボスは共著者に入る」などに発展し、論文に書かれた内容を知らないで共著者になる若山氏や笹井氏、丹羽氏まで登場した。
大学や理研、産総研、国立環境研究所など国民の税金で研究をしているところは、研究結果を「公知のもの」とするために論文を出し、10年ほど前から特許を出す方法も推奨されるに至った。
しかし、あまりにも当然のことながら、公知にするには、査読や印刷費用(一論文10万円ぐらい)を出して学術誌に掲載してもらう必要はない。それはかつてインターネットが存在せず、印刷した雑誌しか公知にする手段がない時代のことである。だから、文字数をできるだけ減らすために「一度、どこかに載せたものはダブって書かない」とか、引用文献を示すときには字数を切り詰めること、などの規則があった。
今では、自分のブログを持てば、論文は即日、出すことができ、査読などというものがないから自分の節を曲げることもない。研究結果と自分の考え方をそのまま書けば世の人の多くが知ってくれる。もともと学会誌は数1000部もあればよい方だから、ブログの読者が数万人もあれば、一流誌なみである。
それもブログに出せば、世界中の人がただで見ることができるし、学会は小さくなり、印刷物は減り、紙の使用量やインクは激減する。どこから見てもよいことばかりだ。そしてどの論文がよいかどうかは、「注目されるかどうか」にかかっているからこれもすっきりする。
どうしても個人では数が多すぎるというなら、「研究サイト」を作って、そこに自由に投稿するようにしたらよい。「STAP論文集」というサイトを誰かが運営すればそれですむことである。私なら「生命のない生命体サイト」や「難燃材料サイト」、「気象変動物理学サイト」などを作れば、とても便利だろう。
なぜ、こんな簡単で時代の流れに沿ったことができないのかというと、学問本来の建前(お金や地位とは無関係で公知にする)ことと、現実に私たちが浸っていた環境の間にあまりに大きな溝があったからだ。私は少なくとも今後は、私のブログに論文を出していきたいと思うけれど、それを一人で初めても誰も評価をしてくれないと思う。
(平成26年6月8日)