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これまで日本に住んでいても日本人ではなかった。その一つの原因は裁判所がつねに「組織」の見方で国民の人生を考えなかったからだ。その点で昨日の大飯原発の差し止め訴訟では、久しぶりに日本の裁判官が日本人であることが判った。

 

それは、判決で「原発を止めることが、経済的に問題があるかどうかは別にして、そこに住んでいる人の人生が最も大切」と言う趣旨の判決をしたからだ。福島原発が爆発したという事実に対して、政府も電力会社も「吉田調書」を隠したりしている現状で、国民が安心して原発を再開できるはずもない。

 

しかし、この問題は大きな背景もある。第一に、古い考えでは「国家のために個人は犠牲になるべきだ」という考えであり、それが「個人の集合体が国家だ」という現代的な考えにまだ日本は達していないということだ。

 

これは原発問題ばかりではなく、学校で「なぜ成績をつけるの?」と聞いてもあまりハッキリした答えが返ってこないのと同じで、根は深い。

 

第二に、裁判官は「たとえ貿易赤字が増えたとしても」と言っておられるが、こちらは「経済のの字も知らない論理」と言うことになる。裁判官は反論に対して言っているので、裁判官ご自身は良く理解されていると思うが、「原発を止めて、火力発電所に使う燃料を輸入したからその分だけ赤字になる」というのは実に馬鹿らしい論理だ。

 

燃料を輸入して電気を作り、その電気を捨てれば確かに燃料を輸入した分だけ赤字になる。たとえば燃料を3兆円で輸入して電気を作り、それをトヨタ自動車に供給して車を作ったら、6兆円以上で海外に売れる。つまり3兆円で燃料を輸入して、製品を作りそれを輸出すれば3兆円の黒字になると正反対だ。

 

日本は貿易立国で、もともと大量の原料を輸入しているのになぜ貿易黒字かというと、原料を加工して工業製品を作って輸出しているからだ。そんなことは中学生でも判っているのに国は国民を騙す目的で、原発を止めて火力発電所にすると、輸入する燃料の分だけ赤字になるといい、それを裁判所で判決を書くときにも影響するという情けない国なのだ。

 

でも、裁判官は偉い。かなりの圧力を受けたと思うけれど、それに動ぜず、良心を貫かれたことに強く敬意を表する。文化勲章ではないかもしれないが、国民栄誉賞であることは確かだ。

 

(平成26522日)