「nadarutdyno.436-(9:53).mp3」をダウンロード

 

長い日本のテニスの歴史の中でも、スペインの錦織選手の活躍は画期的である。世界の王者に対して第一セットを6-2でとったということだけでもかなりのものであるが、私はその中で「ナダルが動けなかった錦織のストローク」に強い印象を受けた。

 

かつて若干、テニスをかじっていた私は、全日本クラスの選手が押しなべて懐が深いことに何回か驚いたことがある。一流選手になるとかなりの速度で返ってくるボールをいとも簡単に自分の体の前で支えて打ち返すことができる。なにしろボールの速度が速いから体の前で支えないと押されてしまって「死んだ玉」が相手のコートに帰るので、それを自由に打たれて一巻の終わりだ。

 

つまり、相手からのボールの運動量があまりも大きいので、上腕の筋肉では支えきれないことを示している。ところが、さらに一流の選手になると、そのボールを故意に懐に呼び込み、そこから鋭く体を回して自由自在に打てる選手もいる。そうなると、相手はボールが一瞬見えにくく、さらに懐に呼び込んで打たれると、ストレートに打ってくるのかクロスなのかを最後まで予想できない。

 

特にコートの前の方でボレーをする時など時間的な余裕がないので、呼び込まれて打たれると動きようがない。

 

スで打つ時でも必ずしもバックハンドで打つわけでもなく、回り込めればフォアハンドに回る。そのほうがクロスもストレートも打てるからだ。

 

ラリーが3回続き、錦織は本来ならバックハンドで打つボールを回り込んでフォアで打つポジションを取り、一方、ナダルは中央線からややバック側に構えていた。バックのクロスに備えながら、いざと言うときには錦織がストレートに狙ってくるのに備えていた。

 

錦織はそこで飛び上がり、空中で体をひねってクロスに打った。ナダルはさほど距離の無いボールを全く追うことができずノータッチでコート内に入ったボールをただ見ていた。

 

二つのことが考えられる。錦織がフォアで打つとき、懐にボールをひきつけてストレートに打つと見せたこと、さらにクロスに打ったボールにシュート回転をかけてコートの外に逃げるように打ったことだろう。それ以外に、あれほどのナダルが一歩も動けなかったことを説明することはできない。もし錦織が「飛び上がらなければ」、打点は低くなるので、やや後方に下がらざるを得ないからその分、ナダルには時間的な余裕ができる。あの瞬間も錦織のこれまでの鍛錬の結果だっただろう。

 

スポーツを見ることは楽しい。さらに自分がある程度、経験していると素人ながら少しその楽しみが増える。私のように自分自身は素人だが、全日本の選手の中で過ごすことが多いと、自分の腕では経験できないことも身近に見ることができて、本物の選手のような理解はできないが、それでも実に楽しい。

 

私の時代は大学受験は8科目あって、音楽や絵画も受験科目に入っていた。「作曲家や絵画を丸暗記しても意味がない」と言われたが、作曲家や絵画を知っていることが後に私が芸術を楽しむときの大きな力になった。

 

それと同様に、スポーツもあらゆるものを体験した。野球、テニス、バレーボール、バスケット、サッカー、ラグビー(タッチフット)、卓球、陸上、水泳・・・である。その結果、私の人生は多くのスポーツを楽しむことができた。

 

少し違う話だが、ある時に友人とドライブをしていたら、遺跡を通りかかった。なんでもない観光地でもない遺跡だったが、日本史を知っていた私はその遺跡に感激をしたけれど、後の人は「何が面白いのだろう」という顔をしていた。

 

今、「勉強は成績や大学受験のため」と考える人が多いが、もちろん、「勉強は自分の人生のため」であり、自分の人生は勉強によってより豊になったように思う。子どもや若い人が「成績のため」ではなく「自分のため」に勉強してくれることを望むし、先生方には「他人と比べて成績が良いことより、その本人が体験したり、知ることに価値がある」と思ってもらいたい(そう思っている先生も多いが、なんとなく社会に流される)と願っている。

 

(平成26520日)