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生まれたばかりの赤ちゃんは「やる気満々」である。つまり「ポジティブ人間」だ。赤ちゃんがネガティブなど来たこともない。見るもの聞くものに興味があり、自分の運命はすっかり親に任せ、眠たければ寝て、お腹がすいたら泣く。

 

小学校4年生までは、このポジティブ人生は変わらないが、その辺から急変し、思春期に人間はすっかりネガティブになる。「何のために俺は生きているんだ」とか、「私は何をやってもダメ」と落ち込むようになる。その人たちも赤ちゃんの時には「やる気満々」だったのである。

 

周囲が見えてくると人間は第一段階の悲観論になる。自分より優れている人、自分よりお金持ちの友達などが見えるのだ。そして未来が見えてくると人間は第二段階の悲観論になる。そして周りも未来も真っ暗になってネガティブ人間になる。

 

先回、男女のことで人間の頭脳は歪んでいて、一部しか見えないと言ったが、ここでも実は周囲と未来が見えているようで見えていない。人間は集団性の動物だから、そこで人生を送る一人の人の運命は、集団全体の運命から遠く離れることはできない。

 

だから、実は個人の人生があるように見えて、それは集団の人生とほぼ同じなのだ。ローマ時代の平均寿命は25歳だったが、ほとんどの人が40歳までに死んだ。いまでは平均寿命が80歳を超えるから、多くの人は60歳になってもまだ元気いっぱいである。

 

明治時代の夏目漱石も森鴎外も、メタボでもなく、それほどの大病をしたわけではないけれど、ともに50歳代でなくなっている。まさに「人間は社会の子、時代の子」なのである。今の日本は世界でトップクラスの「命とお金」を持っているので、街を歩いても野垂れ死にはいない。

 

人間は幻想を抱きやすい。特に日本人は悲観的遺伝子<SS型>を持っているので、周囲と未来に不安を持つ。でも、それは幻想にすぎない。もし不安になったら街を歩くことだ。そして「集団性の動物の場合、一匹の運命はその集団の平均になる」と唱えればよい。

 

(平成2651日)