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「あなたは平和を愛しますか?」と聞けば日本人の100人が100人、「もちろんです」と答えるだろう。マスコミならさらにそれを強調するに相違ない。

 

平和運動というのがある。そこに行くと「平和の大切さ」、「命の尊さ」が叫ばれる。でも、ウクライナにロシアが侵攻しても、尖閣諸島の防衛にアメリカ軍が参加しても、声を上げない。

 

平和運動は批判しにくいし、批判に対してあまりにも激しい攻撃がくるので、あまりやる気もないが、私は平和の大切さとか命の尊さというのはあまりに簡単すぎて、それを言っていても平和は訪れないと長く思ってきた。つまり「平和」というのは非常に難しく、平和の尊さを強調するやさしさとあまりにもレベルが違うから、解決策にはならないからだ。

 

つまり、航空機の安全運航という問題を、小学生が解けないということと同じで、難しい問題を解決するためには、その難しさを超えるレベルが必要だからだ。「そういっても平和の大切さを強調するのは必要だ」と言われるが、私がそれに反論すれば「戦後、70年、それだけじゃないか。国連で否決されているのに、イラクにアメリカ軍が侵攻しても、なんでアメリカを支持するのか? 中国はチベット、ウィグル、満州はもともとの領土ではないのに、なぜ中国を支持しているのか?」と言いたくなる。

 

そして、STAP事件でも、「平和のために学問の成果は公知にする」となっているのに、「公知」を非難して「盗用」というのだから、これも「戦争をしたい」ということにほかならない。

 

その一つに「オリンピックのメダル争い」がある。オリンピックは「平和の祭典」であるがゆえに「国」をできるだけ後退させなければならない。団体戦など仕方がないものもあるが、個人がどの国に所属するかは事務的な手続きに必要なもの以外は使ってはいけない。

 

もちろんIOC(国際オリンピック委員会)は、「国別メダル数」をまったく発表していない。それを計算して毎日の紙面にだし、戦争をあおっているのがマスコミである。

 

スポーツは人間の神聖な活動だから、国を超えたものだ。アメリカの大リーグで田中選手が活躍して拍手をうけ、日本の国技である相撲で外国人が3人、横綱を独占しても良い。それがスポーツである。

 

スポーツに国の対立を持ってくると、サッカーで韓国がやったように政治的横断幕を使ったり、負けていたら審判がペナルティーキックで救うという奇妙なことが起きる。

 

「国の税金を使っているのだから、選手はメダルを取れ」と言うのなら、「オリンピックのような平和の祭典に行くな」と言ったほうがまだ筋が通っている。日本が国連に分担金を出したり、ユネスコに協力しているように、スポーツを通じて世界平和に向うのがオリンピックなのだ。

 

今から100年ほど前にすでにクーベルタン男爵が声をからして国別対抗を止めるように説得し、イギリス国教会の牧師様(呼び名は違うが)がオリンピックで対抗心を燃やしたイギリスとアメリカの選手さんをいさめたように、すでに世界の合意を得ているのだ。

 

平和への道の第一歩、それは「国別メダル数をマスコミが計算せず、報道しないこと」である。それすら今の日本はできない。韓国や中国が「対立を激化させ、戦争に向かおう」としているのと私にはほぼ同じと思う。

 

平和への道を一歩、一歩、勇気をもって進むことが、私たちが子供にできるとても大きなことだ。

 

(平成26426日)