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今回の事件では、学生が登場した。まず第一に、小保方さんの博士論文、第二にコピペ問題で学生の感想、だった。でも両方とも「学生は教育中ではない」という奇妙な前提だ。

 

教育中というのは学生がお金を払っている。それに対して研究は本人がお金をもらう。だから、学生と社会人(研究者)は全く違う。これが誤解されていることと、弱いもの(学生)は正しいことを言うという前提で、無条件に学生の言うことを正しいとして判断せずにマスコミが報道した。

 

学生がコピペしてよいかというのは、科学論文がコピペしてよいかとはまったく違う基準で決まる。もし学生が文章が下手だったり、研究している内容をよく理解していない場合、「コピペしてはいけない」と言うでしょう。また文科系の場合、対象とする文献が「思想又は感情に基づく創作物」であれば、著作権がありますから、「事実を教える」ということでコピペを禁止することもあります。

 

これらはすべて「教育上の配慮」であって、「社会的にどうすべきか」とは違います。お習字の練習をしている時には先生は全員に書かせますが、職場では字のうまい人が式次第を書きます。職場でも教育中と同じように、「順番に式次第を書きなさい。学校でそう習ったでしょう」という上司はいるでしょうか?

 

学校は「教育のため」であり、社会は「仕事のため」だから、行動規範から基準から、してはいけないことからすべて違うのです。それを学生に聞いてどうするのでしょうか?

 

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また試験の答案、卒業論文、博士論文(学生の作品)は「なんのために作る」のかを忘れた報道も多く見られました。

 

学生(教育中)の作品は「本人の力を高めるため」に提出させるものであり、研究者の作品は「世のため人のため」に出されるものです。したがって、簡単に言うと、学生の作品は合格したらその場で捨てて良いもので、取っておくとか、作品が良かったかどうかなどは問題がありません。

 

卒業論文や博士論文などを保存しておくのは慣例でやっているだけで、その必要性についてしっかり論議されたことはないのです。私は大学教育改革に深く関係してきましたが、現代の学生の論文についてその意義などを議論するときには、当然ですが、「修行中」であることが前提です。

 

そして、学生を合格させるかどうかはすべて先生の判断です。でも卒業論文では学科の先生方の同意、博士論文では副査(4人程度で学外を含む)、公聴会(社会)の承認を必要とします。それでも、問題になった場合、主査の先生が合否の理由を述べるのであって、これもあまりにも当然ですが、本人が合否の理由を説明することはありません。

 

もともと学生の作品の所有権は先生にありますから、先生が修正を指示することができます。もし学生の所有物なら先生は修正をさせることができません。理系の論文の場合、コピペが良いか悪いかは先生が決めることです。

 

また私は「科学の産物は人類共通の財産」ということを学生に教えるために、自分と他人のものを区別したがる学生に、「自然に対して忠実になり、人間は忘れろ」と教育します。それと同時に、「社会はお金や所有にまみれていて誤解を招くから引用ぐらいはしておいた方が良い」と世渡りの方法を教えておきます。

 

つまり現代の社会はあまりに考えずにバッシングする人が多いので、「正義ではないこと」も教えておく必要があるという哀しい現実なのです。今回のSTAPもその通りになりました。

 

本当は科学は自然に忠実であることですから、人間社会とは違う、それがあるからこそ学問の進歩があるのです。人間社会にまみれた科学はルイセンコの「共産主義で小麦を育てるとよく育つ」となってしまいます。

 

いずれにしても「教育」と「社会」を混合した今回の事件はまことに残念でしたし、かつ早稲田大学が主任教授も説明せず、教授会も調査委員会を作らないのに、大学が「ネットで問題になっているから」と法律(教育ではない)の専門家である弁護士を立てて調査をするのは大学の破壊です。

 

早稲田大学の卒業生は、「都の西北」の精神を思い出し、大学に正しい教育に立ち返るように求めてほしいと思います。

 

(平成26411日)