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STAP細胞論文の記者会見で、理研が盛んに「実験ノートが杜撰だ」と言っていました。これは意図的に研究者の研究がいい加減だったということを印象づけるためと考えられますが、いったい、実験ノートとは何でしょうか?

 

私が若手の研究者だった今から40年ほど前は、コンピュータが発達せず、測定器も前近代的なものだったので、常に自分の手で記録しなければなりませんでした。その頃には実験ノートは毎日何ページも書き、そこにデータを記録し、観察結果をまとめていました。

 

しかし、最近はすべてが電子化されました。測定器や画像も直接パソコンに取り込みますし、グラフや表もソフトを使って書きます。また実験観察は私の研究室では全部ビデオにとっていました。実験観察をノートに書くのは大切なのですが、実験の横にビデオを動かしておいた方が、考察などをする時に気が付くとそれを振り返ることができますので、実験ノートよりはるかに厳密になるからです。

 

しかし、今から40年ほど前、アメリカの特許の問題が起こり、アメリカは先発明主義ですから、実験ノートがとても大切になりました。その頃の研究者がいまだに古い研究スタイルを強制することがあります。

 

つまり特許申請の時に実験ノートをつけるとそれが着想の証拠になるからですが、今ではメール、画像取り込みの日付などを残しておけば実験ノートは要りませんし、もちろん学問には関係なく、知的財産を登録しようとすれば必要になる場合もあるということで、本来の学問で必要なものではありません。

 

その点で理研の記者会見は研究が杜撰だったということを実験ノートまで持ち出して批判するという極めてあくどいものでした。私自身も20年ほど前から実験ノートを持っていませんし、若い人に強制もしません。

 

「コピペは悪いこと」も「実験ノートをつけるべきだ」も、「お金のための研究」を「正しいこと」として、本来の学問や研究の人類的意義から遠く離れていることが原因しています。日本を代表する研究機関である理研がお金にまみれたことがざんねんです。

 

人類が生み出す知的産物が、平和に役立つことを祈るばかりです。

 

(平成2644日)