日本は、(法令にも決まりがない、事実調査もしない、暴力で人の一生を台無しにする)という新しい時代に入ったようだ。このようなリンチに参加している人は、NHK、マスコミ、ブロガー、そして匿名のネット活動家である。
「リンチ」は法治国家では犯罪である。犯罪を起こした人は自首すべきである。警察は「腕力による暴行」については直ちに取り締まるが、「言論による暴力」はまだ取り締まりの尻込みをしている状態だ。
しかし、NHK、マスコミ、ブロガー、ネット参加者はその人たち自体が「言論」を武器にしていることを良く知っている。良く知っているがゆえに、受信料を強制的に取り、膨大な人数を抱え、ブログを運営し、ネットに参加するのだ。力がなく、意味がなければ活動しないだろう。
だから、「リンチ」をしないという鉄則を守らなければならない。もし守らなかった場合、「すみません」と謝り、「自首」すべきである。自首の第一歩はマスコミならテレビや新聞、ネットならブログなどで「なぜ、自分がリンチをしたのか、どういう制裁を受けるのか」を自分で決めて宣言すべきである。
言うまでもないが、リンチとは、
1)私たちが日本社会を明るく、安心して暮らすために約束した法令に違反していないのにバッシングすること、
2)十分な調査をせずに、また知識がないことが自分でもわかっているのに正義を振りかざすこと、
3)夜陰にまぎれ覆面をして(匿名で)行動すること(自分が悪いことをしていることを知っているので、匿名になる)、
4)衆を頼んで不誠実なことを伝え、自らの満足を得ること、
などである。
アメリカの西部開拓時代。それは19世紀の前半であり、現在の日本に比べれば、野蛮な状態だった。ピストルによる決闘があり、インディアンの虐殺があった。それでも、「リンチによる縛り首」は現に禁止され、保安官が現れてリンチを急ぐ住民に対して、「罪があっても法の裁きを受けさせる」と叫んだのだ。
その一人にOK牧場の決闘で有名なワイアット・アープがいる。幸い、肖像が残っているが、それほど知識人ではない。それでも、法の存在、社会の根幹はよく理解し、命をはってもリンチが悪いことを社会に知らせた。
細胞論文が今後、どのような経過をたどるかは不明であるが、「わかっていないことを勝手に推定し、自分が知らないことを勉強せず、一個人をバッシングしてその人生を狂わせた」ことに加担した人は、なぜワイアット・アープほどの自制心も正義心も、学力もないのだろうか?
マスコミもネットも「万能細胞」に戻って、もう一度、体を作り替えるべきだ。今回の細胞報道やネットバッシングで間違っていることをリストしておく。
1)論文にはある程度の誤りがある。誤りがあってもよいということではなく、それをどうするかは本人が考えることだ。
2)一般的に論文を出しただけでは特段の被害者を出さない。だから、たとえケアレスミスがあっても、「悪」とまでは言えない。
3)もし論文がミスや故意で間違っていても、社会の被害は拡大しない。
4)昔、金持ちの男性だけが書いた論文を、今はいろいろな立場の人が書いている。これは良いことだが、やや論文の正確さは落ちる。私は正確さが落ちても多くの人が学問の道を選ぶのを優先したい。
5)新しいことが書かれた論文は最初は極めて不完全で、再現性もないことがおおい。発見が画期的であるほど、その実証には時間がかかる。
6)(Natureの論文が不完全だという報道に前後して起こった博士論文について)一般的に、あることが問題になってとき、本人の学生時代のものを掘り出すのは不誠実である、
7)博士論文は審査したほうに問題があり、本人が取り下げることはできないと考えられる、
8)教育中の作品は、本来は本人が卒業したら破棄する(答案を破棄するようなもの)ものであり、それを穿り出すのは卑劣きわまる。
9)理系の学術論文にコピペをどのように活用するか、正面から議論が必要である(教育目的に書かせる場合は別)。
(平成26年3月23日)