ソチオリンピックの選手批判、そしてSTAP細胞の理研問題、いずれも「クーベルタン男爵がいない歪み」がでた事件だった。コピペや間違いなどの個別の問題以外に少し奥深い、基本的問題を論じてみたいと思う。
ソチオリンピックでは、「税金を使ってオリンピックに行って、不本意な成績を収めるとはどういうことか!」という批判だったし、理研の方は「日本の科学が他国に負けてはいけない」という政策が原因となっていた。
クーベルタン男爵が近代オリンピックを始めた動機は「教育活動」であったが、その真なる目的は「スポーツと言う人間の崇高な活動をもとに世界平和、人類融和に寄与したい」という心があった。
スポーツも学問も人間の活動の大切なもので、一つは「体」、一つは「頭」だ。これに「心」の活動の芸術、文学などが加わるが、いずれにしても、スポーツ、学問、芸術を「国家間の競争」の問題にするのは、適切ではない。
むしろ、今後の世界を考えれば平和日本としては、スポーツ、学問、芸術を国家間競争にしないように、クーベルタン男爵の思想を受け継ぐ国家にしたいものである。
国家はその全力を挙げて相互に戦う必要はない。そうなるとどうなるかは総力戦であった第二次世界大戦でよくわかっている。私たちは第二次世界大戦しかしらないので、戦争は総力戦と思っているが、19世紀までは「戦争は将兵同士の戦い」であって、一般人を巻き込むことは少なかった。
だから、さらに人類が進歩しているなら、国家間の争いになることを少しずつ減らしていくのが良い。そのためには、スポーツ、学問、芸術を国家間競争から外すことを日本から国際社会に提案するべきと思う。
(平成26年3月19日)