(学問はむつかしいもので、社会とはかなり違うし、誤解もあるようですので、お話したいと思います。)
人間はパンのみでは生きることができない。
事実、学問は人間を野獣から考える葦にした。
そして、学問は人間社会から迷信や虐待を少なくしてきた。
哲学は私たちの思想を作り、文学は安らぎを与えた。
科学技術も自然を明らかにし、人間の寿命を延ばした。
学問はそれ自体に意味があり、社会の大きな発展と幸福に貢献する。
だから、学問はそれだけで良いと私は思う。
科学技術は自然を探求するものだから社会の規則や道徳に縛られない。
科学技術は創造物ではなく事実だから著作権などもない。
科学技術には誰がやったとか、誰のデータというものはない。
自分の大学でノーベル賞がでたら、夕刻、みんなで研究室にあつまって拍手をする。
そして翌日には普通のように当人も周りも研究する。
努力や成果に対して惜しみない拍手をするけれど、それによってお金、地位、名誉をもらってはいけない。私たちは自然の子であるから。
誰の論文か、引用の有無、他人のデータ、繰り返し使う図表、コピペ・・・どれもこれも娑婆では問題だが、自然の前には意味のないことだ。人間が必死になって自然を解明し、それを利用する。そこでは万人が平等であり、その成果は万人に属する。そのために古から科学は人間社会から解放され、そして人間社会に貢献してきた。
それがキャベンディッシュであり、マックスウェーバーの嘆きでもあった。
貧弱でみじめ、お金と利権と地位亡者の日本にはなりたくない。
(平成26年3月16日)