男女関係と言うのはむつかしいもので、双方に誠意があってもうまくいくのはむつかしい。それが男同士、女同士とは違うところだ。
加山雄三が「卒婚」をするという。「卒婚」という言葉は最近、ある本が売れて社会に認知されたものだが、「長く一緒に生活した夫婦が、法律的には相変わらず結婚しているが、事実上は別居、つまり、結婚状態を卒業する」という意味だ。
男性は一度、結婚するとそれが永久に続くと思っているし、自分が定年になっても妻が料理や洗濯をしてくれるものと信じている。でも、女性は結婚してしばらくすると、常に「この男性と別々に生活したい」と思っている。特に女の子どもが生まれたらなおさらだ。
考えてみるとそれも当然で、男女同権、男女共同参画などというけれど、やはり家事は女性が中心になってやる。家庭のことに気が付くのも女性の方が鋭いし、トイレが汚れているということが気になるのも女性だ。
だから男性に誠意があって、妻を大事にしようとしても、妻の方がずっと気が付くし、気になるので、感覚がずれるのは仕方がないのだ。どちらが悪いということもなく、夫に誠意があっても妻は常にイライラしている。
でも、昔の女性は働く力がなかったので、離婚すれば即、生活ができない。子どもでも抱えていればなおさらで、どんなに夫が強引でもじっと黙って我慢していた。
でも、もう時代は違う。また給料という面では男女の差があっても女性は生活力があるし、離婚のときに慰謝料をもらうのも、子供を引き取るのはほとんど女性だから、精神的にも安定する。勝負にならないのだ。
もともと、日本より社会が成熟しているヨーロッパでは男女の関係は日本ほど固定的ではない。最近、フランスの大統領がこれまで事実婚だったファースト・レディーのバレリー・トリルベレールさんと「離婚」(別れ)して、(不倫)相手のジュリー・ガイエさんと結婚(大統領府で同居)すると発表した。
ちょっと日本では考えられない。首相が正夫人と別れて、愛人を首相官邸に入れて生活を始めるとなると日本のマスコミは大騒ぎするだろう。
少し前のフランスのミッテラン大統領は就任するときにすでに愛人がいることが分かっていたので、記者会見でそのことを聞かれると、「それが何か?」と聞き返し、記者はそのまま黙ってしまったということがあった。
ドイツでも妻(フラウ)と愛人(フロインディン、さらに少しドイツ語が続くが)がいて、フロインディンと同居したり、家族がフロインディンと妻同然に接することもある。またドイツでは日本のようにラブホテルが一般的ではないので、自宅でフロインディンと愛を交わすことがほとんどで、そんなとき家族はそっと気を配る。
良いことか悪いことかは別にして、成熟したヨーロッパの男女関係を見る感じがする。でも、日本のような固定的な男女関係の方がより優れているように思うが、そこで起こる離婚率の高さとか、多くの不満な女性がいることを考えると、「優れた日本式の男女関係」を作っていく必要があるように思う。
先日、3歳の子供に犬の首輪をつけていた親が話題となった。かつて、外出時に子供にベルトをかけてお母さんが3メートルぐらいあるベルトを持っていた。調べてみたら今でも売っている。
鎖ではなく、ベルトにしてあるのは犬を連想しないようにしているからだが、首輪と鎖と本質的には変わらないように見える。
また、子供をしつけるために押し入れにいれたり、親が子供とともに自殺する心中まであった。親が子供に対してどのような指導と限界があるのかもはっきりしていない。
現代はどのように考えればよいのだろうか? 家族や家庭が大切と言う人が70%になった。昔は、国家や仕事を大切と言った人たちが、今は「家族」なのだ。でも
「どのような男女関係、親と子供、年老いた親との関係」がはっきりしないままにただ「家族が大切」と言ったり、テレビ番組と言うとすぐ家族を出したりしている。
戦前は、良くも悪くも「家族はこうあるべきだ」と言うことがはっきりしていたから、教育勅語には「親を敬い、兄弟仲良く」と書いてあったが、現在の教育基本法には家族のことは一切書いていない。だから、教育現場では家庭や男女のことをふれることができない。
それなのに卒婚という言葉を作ったり、首輪をかけた親を逮捕するというのはどういうことだろうか? 自分たちでハッキリと良いこと悪いことを決めることはできずにいるのに、空気だけで逮捕するのも問題だ。
現代の日本は、男女、家族について「何が良いか」が分からない過渡期にある。
(平成26年3月1日)