ソチオリンピックでは10代の人が活躍した。これについてある専門家は「10代のころは「こうしなければならない」ということも少なく、のびやかだから」という説明をしていた。素晴らしい解説だった。
私は帰ってすぐ、「のびやか老人」というエッセイを書いてみた。人間は生まれたときにはやる気満々だと心理学者は言う。確かに、赤ちゃんはなんにでも興味を示し、楽しそうに笑う。「何の屈託もない笑顔」は赤ちゃんの時しかできないものだ。
そして10代の時には「のびやかな心」を持っている。あまり何にもこだわらず、本質だけに夢中になれる。浅田真央さんは今でもみずみずしいけれど、最初に登場した14歳ごろは本当ののびやかだった。
人間も20歳を超えると、「やる気満々の心」や「のびやかな心」を失い、「こうするべきだ」とか「あれはしてはいけない」などとなるのだろうか? 未来の不安、必要もない制限などはもしかすると人間の心がキズが作り出していることで、もし、人間の頭にひずみがなく、社会にそのような圧力がなくなれば、「やる気満々の老人」、「のびやか老人」が多く出現するような気がする。
ところで、今日、あるテレビで、「私もソチオリンピックの若手選手のようにのびやかな老人になりたい」とコメントしたら、横のアナウンサーが「先生、それ以上、のびやかになっては困りますよ」とくぎを刺さされた。たしかにそうかも知れない。
年甲斐もなく茶目っ気も消えないし、どうせ俺の人生なんかという気持ちもある。でも、もしこの日本に「やる気満々おとな」、「のびやか大人」、「のびやか老人」が増えたら、社会は明るくなるのではないかと思ったりする。
(平成26年2月26日)