日本に年金ができたとき、当時の厚生省の年金課長は、次のように言っている(厚生年金保険制度回顧録から)。
「・・・年金を払うのは先のことだから、今のうちどんどん使ってしまっても構わない。使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。 貨幣価値が変わるから、昔三銭で買えたものが今五十円だというのと同じようなことで早いうちに使ってしまったほうが得する。」
素晴らしい!! 「素晴らしい」というのは官僚にしては珍しく「本音と真実」を言っているからだ。もちろん、道徳的には下の下だが。
1961年から日本の年金制度が本格的に始まった。その前の日本人は歳を取ったら子供に面倒を見てもらうのが普通で、特別な軍人恩給などを別にしたら、家族単位で生活をしていた。
それから年金に加入した日本人は自分でお金を収め始めた。政府は「揺りかごから墓場まで」というキャッチフレーズで「年金を収めていれば生涯、安心して暮らせる」と言った。しかし、現実にはそれは夢物語であることが当時からわかっていた。
この年金課長が言っているように、国民から収められた年金は、厚生省のどこかの金庫に納められる。そしてほぼ40年後に年金を収めた人に対する年金が支払われる。
しかし、現実には「インフレ」が進むから、「昔三銭で買えたものが今五十円」と言っている。40年で1700倍になるという計算だ。少し大げさかも知れないが、当時は高度成長期だったので、平均的なインフレ率は7%ぐらいあった。
一年に7%のインフレが40年続くと、物価は15倍になる。でも年金課長の感覚では40年で貨幣価値は1000分の1ぐらいということだったのだろう。この人は戦争を経験しているから、40年先は貨幣価値はなくなると思っても不思議ではない。
現在はインフレ率が2%だから、40年で貨幣価値は2.2分の1になる。つまり100万円年金をためてももらうときには45万円相当になるということだ。でも、インフレが2%になるとはかぎらない。現在のように日銀がお札を135兆円もすると、数年で貨幣価値が半分になることもありうる。
だから、年金課長が言っているように「早く使ったほうが得をする」ということになる。それはどういう意味だろうか?
まず、第一回は「国民が年金を積み立てても、それを集めた厚生省は、年金制度が発足した時から国民のお金を使い込むつもりだった」という衝撃的事実をとにかく納得しなければならない。
道徳的にも、倫理的にも、役人が公僕だということを考えても、腹の虫がおさまらないが、これは「感情」の問題ではなく、現実に日本社会で起こった「歴史的事実」だからである。
この年金シリーズで大切なことは、かつて進化論のチャールズ・ダーウィンが言った言葉、「真実を知るには勇気がいる」ということだ。
(平成26年2月12日)