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あの大規模な戦争の後、私たちは「平和教育」を受けた。その基本は教育基本法の第一条(教育の目的)・・・教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない・・・であった。

 

だから私たちはまず「真理を愛する人」になっているはずだ。「真理」と「事実」は少し違うけれど、真理を愛するためには、まずは「事実を大切にする」ことは必須である。

 

しかし、教育は失敗した。今の日本は戦後の教育受け、この教育基本法の精神に満ちているはずだが、「事実」はほとんど顧みられない。

 

その一つが「温暖化」だ。ここ15年も世界の平均気温は変化せず、気象衛星で観測している上空気温は35年も変わっていないのに、「ますます温暖化が進んでいる」とNHKは放送する。「事実はどうでもよい」というのではなぜ真理を愛することができるのだろうか?

 

原発も同じだ。原発再開を主張している経団連に「原発は安全ですか?」と聞くと、「安全です」と答え、「それではなぜ東京の電気を新潟で作っているのですか?」と聞くと、「危険だから」と答える。

 

「原発は安全か、危険か」という真実が知りたいのではなく、「電気が欲しければ安全という。被曝したくないから危険という」というご都合主義なのだ。

 

これは、マスコミや指導層だけではない。平和主義の人も「日本は侵略戦争をした」という。

 

朝鮮は日本が戦争時代に入る前に「日本と同じ国」であったし、大東亜戦争で戦った相手は白人だった。さらに中国はアジア諸国で唯一、白人側についたので、日本は中国と戦った(戦争の引き金になった日本のABCD包囲網とは、アメリカ(A)、イギリス(B)、中国(C)、オランダ(D)である)。

 

平和を愛するのはわかるが、真実も尊重しないと真理を愛することはできない。でもマスコミ、指導層、平和主義者だけを批判することはできない。真理を愛することでは先頭を走らなければならない大学ですら、「温暖化」が幅を利かせている。

 

その理由は「温暖化というとお金(研究費)をもらえるから」という理由だが、教育の目的には「お金をもらうためには真理を捨てても良い」とは書いていない。「オリンピックの経済効果」、「首相が靖国神社に行くと中国との貿易に影響がある」など、「真理よりお金、正義よりお金」の人材を作ってしまった。

 

なぜ、戦後の教育が失敗したのだろうか? 昭和27年の資料によると「立派な教育目的を書くことはできるが、教育はむつかしいだろう。教育する人がいないから」と書いてある。教育の目的にいくら立派なことを書いても、教育する人が立派でなければ教育はできない。

 

私が「教育は先生が大事で、文科省はないほうが良い」と言っているのは、文科省の役人で、教育の目的を身に着けた人を見たことがないからで、それから見たら現場におられる教諭(校長ではない)の方がずっとレベルは上である。

 

(平成26110日)