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先の大戦(第二次世界大戦、大東亜戦争)でも日本は国際的に孤立した。このブログの「普通の歴史」にも詳細に書いたように当時の日本が国際的に孤立したのは満州国の建国がその理由になっているけれど、世界のほとんどの国が植民地を持っていた当時、満州国が日本の傀儡政権であったとしても、それは世界で特別なことではなく、むしろ良心的な植民地経営と言えるものだった。

 

それでも日本は孤立した。その一つの原因が、日本人が有色人種であったことや、中国がアジア民族なのに白人側についたというような事情はあるけれど、大きな理由はやはり「日本は自分の価値観を表面に出しすぎて、世界全体の動きを理解できず、それを無視した」ということによる。

 

満州国の調査に入ったリットン調査団の構成に異論を唱えるなら「ヨーロッパ流交渉術」だが、全部決まってから国際連盟で素晴らしい演説をして、その直後に国際連盟を脱退するというのはいかにも日本的過ぎて世界の理解は得られない。それが結局、310万人の犠牲という大東亜戦争を呼んだ。

 

このような日本人の「国際感覚の不足」は今でも続いている。戦後の高度成長ではあまりに急激に日本からの輸出が増え、アメリカの自動車産業など世界の産業から「日本株式会社」と批判されたが、日本人がそのことをよく考える余裕はなかった。

 

このような国際感覚の不足は現在でも続いていて、その中心は「環境問題」と「経済問題」に集中している。環境問題では「温暖化防止でCO2の削減をしているのは日本だけ」、「リサイクルをしているのもほぼ日本だけ」、「節電は日本だけ」などがあり、経済問題では「貿易立国なのに第三次産業の自由化に反対している」、「エネルギー節約」などがある。

 

日本が国際的に奇妙な行動をとるのはなぜだろうか? その理由を「温暖化騒動」で整理してみたいと思う。

 

今から40年ほど前まで、世界の気象学者、地球物理学者などの学者は「寒冷化」を心配していた。理由は、太陽活動による500年周期の寒暖の変化がそろそろ寒冷化に向かうこと、1940年から70年までの30年間、世界の平均気温(都市部)が低下傾向にあること、寒冷化すると食料生産などが大幅に低下することが予想されること、などであった。

 

私の知り合いの学者は「寒冷化するから、寒冷に強いイネを開発しなければ!」と叫び、研究費を獲得していた。

 

ところが都市部の気温は1980年代から上昇に転じ、若手の学者の間でしばらく温暖化が進むのではないかと考える一派が登場した。このグループはかなり政治的だったので、1988年アメリカ上院の公聴会で「CO2による温暖化」という新しい学説をだし、それに政治が加担して今日の温暖化騒動になった。

 

しかし、学問的には「温暖化しているかどうか」は定かではない。確かに世界の都市の平均気温は1880年から2000年まで継続して上昇しているが、良く知られているように都市の気温はヒートアイランド現象で地方の気温とかなり違うこと、1880年からの測定値はほとんどが先進国でエネルギーの消費量が高いことなどである。

 

これに対して1978年に打ち上げられた気象衛星による上空気温の観測では気温はまったく上昇していない。また、1997年からの最近の15年間は、都市の気温も含めて上昇していないし、2013年には南極の氷の面積は最大になった。

 

地表の気温、特に都市部の気温に影響を与えるのは、地球の気温自体、都市のヒートアイランド現象、気温を観測する百葉箱の設置場所などいろいろな影響がある。また太陽活動、宇宙線の強さ(太陽からの太陽風の影響を受け、強いほど雲ができやすい)、地軸の傾きなどがあり、長期的、短期的にその変化を予想するのはむつかしい。

 

CO2は地球を温暖化するが、地球が誕生した時にはCO2の大気中の濃度は95%もあり、現在の0.04%というのは地球の歴史から言えばもっとも低いレベルであり、それが10倍程度になっても破壊的な影響があるとは歴史的事実から見れば考えにくい。

 

したがって、日本を除く世界各国は温暖化問題を政治的に利用するのにとどまり、環境問題としては取り組んでいない。もちろん、各国には道徳的、社会運動的に自然の変化を極端に嫌う人たちがいて、温暖化阻止の運動としては存在するが、それは一部のとどまり、具体的にCO2を削減するという政策までには至っていない。

 

これに対して日本ではCO2を減少することが、政策ばかりか、道徳的にも正しいというところまで進み、小学校でも「温暖化防止」の教育が行われるという、世界でも日本だけが異常な状態である。

 

しかも「政策の一部に温暖化対策を含める」という程度ではなく、「すべての政策、節電など、日本人の行動を制限するところまで及ぶ」という極端なことが行われている。

 

世界の動きと全く異なり、国内では個人生活に影響を与えるようなことを「あやふやな科学的根拠」で行うためには、国民が大きく錯覚しなければならず、そのためにNHKを中心としたマスコミが大いにその力を発揮した。また教育界も協力し小学生にも「温暖化防止のために私たちも何ができるの?」というダンスを踊らせたりした。

 

2009年には温暖化を強調するIPCCのデータのねつ造、2013年には15年間も世界の気温が上がっていなかったのを隠していたという報道などが続いたが、2013年暮れ、NHKは「ますます加速する温暖化」という報道をした。テレビ報道は言ってしまえば時の流れで流れてしまうので、何を言ってもよいという無責任な経験があるから、データは問われないと思っている。

 

世界全体が知っている事実を強力なマスコミの力と、上からの指令に弱い教育界や、広告代理店の力によって世界とは隔絶した認識になる日本。このことは戦後、いち早く丸山眞夫氏は「日本では常識であることが、日本を一歩出ると非常識のことが多い」と述懐している。

 

「グローバリゼーション」と言われて久しいが、日本人が国際的な感覚(たとえば、温暖化というのは環境問題ではなく、政治問題として見るなど)を身に着けるのはいつのことだろうか? そのためにはマスコミや専門家が正しい発信をすること、自分の利権より日本の発展を願う政治家を増やすことがもっとも大切だろう。

 

(平成2614日)