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福島原発近くのお寺の和尚さんとお話をした。その和尚さんのところは3人、そして隣のお寺では8人が震災後にお亡くなりになり、11人のうち10人が自殺という。

 

これまで先祖伝来の土地に住み、自然の恵みの中で生きてきた人たちにとっては「土地を失う」のは「命を失う」より辛い。なにも植えることができない土地にはセイダカアワダチソウが茂り、すべての人は避難先から自宅に帰って命を絶つという。

 

その哀しさ、悔しさが胸を打つ。東京に住む政治家や知識人は「福島では誰も死んでいない」という。でも、自殺する人の多くは政府によって居住が禁止されている地域の人たちなのだ。

 

もし「原発は危険だ」と正直に言っていたら、この人たちは自然の中で幸福な人生を送っていただろう。なんとむごいことをするのだろうか! 何100人の人が命を自ら絶ち、もしくは命と同じぐらいの苦痛と絶望、悲しみを味わっているのだろうか? 

 

それでも原発を再開するという。日本人が哀しさの中で自らの命を絶っていることを東京の政治家もこれまで原子力を推進してきた人も何とも思わないのだ。火力発電所を増設すれば経済的な損失もなく電力を得られるのに、毎年、出している5000億円の税金などを原発の終焉に当てれば簡単なのに、わずかな利権をむさぼっている。

 

バブル崩壊以来、「もったいない」という外来語を使い国民に節約を強いて1000兆円のお金を「国債」という名前で借り上げた政府は、「借りたお金は返さないから、返却するのに増税する」という。

 

国民は自分が借金したと錯覚しているが、借りたお金を返すべきなのは政府であり、天下りしてたっぷりと退職金をもらった高級官僚であり、補助金で潤った企業だ。「借りたお金を返さない」という文化は日本にはない。

 

人の心の痛みを感じ、自然とともに暮らす人生を知り、借りたお金を返す素直な心を持ち、礼儀正しい日本人だけで国を作りたい。

 (平成251213日)