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ネルソン・マンデラさんが亡くなった。面識のない私が「さん」と呼びたくなるところに彼の偉大さがあるのだろう。彼は次のように言った。

 

「生まれながらにして肌の色や出身や宗教を理由に他人を憎む人は誰もいない。憎しみは後から学ぶものであり、もし憎しみを学ぶことができるなら、愛することも教えられるはずだ。愛はその反対の感情よりも、人間の心にとって自然になじむものだから」

 

人間とは不思議なものだ。もともと仲良く暮らせるのに、憎しみ合うことを勉強して脳で覚えるのだから。でも、これだけではない。心理学者のマーチン・セリグマンは次のような趣旨のことを言っている。

 

人間は意欲満々で生まれてくるのに、教育や生活が人間から意欲を奪い去る。

 

人間とは不思議なものだ。もともと意欲満々なのに、それを失わせようとして必死だ。いや、そんなことはすでに2000年前からわかっていることかもしれない。イエス・キリストが言ったことをルカが次のように記録している。

 

今、飢えている人々は幸いである、あなたがたは満たされる。
今、泣いている人々は幸いである、あなたがたは笑うようになる。

 

人間とは不思議なものだ。飢えたり泣いたりするのが幸いなら、不満も不幸もない。イエス・キリストもお釈迦様も人間の本質をよくお分かりだった。そして私は次のように思うようになった。

 

社会は人を不幸にしようと必死になり、
人はまともになろうとして異常になり、
幸福になろうとして不幸になる。

 

憎しみの心を学び、意欲を削ぎ、贅沢を求める。社会は人を不幸にするために努力し、人は異常になるために真面目を装い、そして幸福なのに不幸になる。

 

人種差別と闘わなければならず、中国と韓国は日本を憎しみ、全国学力テストが子供の意欲を奪う。人は労働の楽しみを忘れて補助金を求める。戦争も、秘密保護も、政治は必至で人を不幸にしようとする。

 

ダイオキシンは猛毒だ、タバコを吸ったら肺がんになると真面目を装い、すでに十分に人生を楽しむ生産量があるのに自分の時間を持とうとはしない。まるで、憎しみ、意欲を失い、満足を捨て、他人を不幸にし、異常な生活で苦しみ、そしてそのまま人生を終わりたいと思っているようだ。

 

原因ははっきりしている。人が「不完全な頭脳」で「正しいこと」を求めるからだ。すでに2000年も前から「正しいこと」はわかっているのに、どうしてもそれが頭になじまない。すでに心は受け入れているのに。

 

(平成25127日)