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楽天の田中投手が大リーグに移籍するか、契約金はどのぐらいかというニュースが盛んに流れている。甲子園で早稲田の齋藤と投げ合い、その後、ドラフトで弱体球団だった楽天に指名された。ここまではなんとなく「頑張っているけれど、あまり運の良いほうではない」という感じだった。

 

ところが楽天という球団も野村監督、星野監督などで強くなり、選手も成長して、驚くべきことにパリーグ優勝、日本シリーズで巨人を倒して日本一になった。その立役者が「無敗の田中投手」であることは間違いない。

 

マウンド上の状態、インタビューの受け答えなどすべてにおいてスポーツマン的で素晴らしい。誰もがファンになるような人物で、しかも抜群に優れている。だから、契約金が5億円とか、アメリカに行くか行かないかなど話題にも事欠かない。

 

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私はこう思う。

 

人はなぜか「現在の状態」を基準にして「少しでも得になるように」と考える癖がある。確かにその本人にとって「現在の状態」というのは、それなりに努力し、苦労に耐え、我慢してきた結果だから、現在の状態を大切にしたいという気持ちはわかる。

 

でも、「自分の現在の状態」というのは、単に「現在はこういう状態だ」というだけで、それ自身が大きな価値を持っているわけではない。田中投手が昨年1勝10敗になる可能性もあったし、けがをする可能性もあった。そのようなプロ選手は多い。

 

「現在の状態」と「その人の幸福な人生」とはあまり関係がないように思う。「現在の状態」は相対的なもので、特に「人との関係で自分がどこに位置するのか」ということが多い。それに対して「人生の幸福」というのは絶対的な尺度があり、「何とか生きていける体力、自分が熱中できる天職、親しい友人や家族、そして粗末な食事と少しのお酒」と決まっている。

 

田中投手は、何とか生きていける体力があり、自分が熱中できる天職を持ち、良い奥さんと友人に恵まれ、そして食事とお酒も大丈夫だろう。そうなると、彼は「すでに幸福」であり、「現在の状態」を基準にしてさらに何かする必要はない。もちろん1億円か5億円かと言われれば5億円を選択して問題はないが、だからと言って彼が幸福になるわけではない。

 

むしろ5億円は彼を不幸にする可能性がある。タイガーウッズの悲劇はもらいすぎた賞金だったからである。

 

それなのに(もうすでに自分は幸福なのに)、人間はさらにお金をもらおうと思ったり、時には人を陥れたいという劣情に駆られたりする。今の自分を捨てることができないのだ。いや、今の自分を捨てなくても良い。でもそれを基準に「少しでも得をする道」を模索する必要はないのだ。

 

突き詰めれば、人生は「病気がち、苦労する仕事、粗末な食事」が良いのであり、できれば「心許せる友人か家族」を得ることができれば、それがもっとも幸福であることはすでに繰り返し証明されている。

 

(平成25127日)