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秘密保護法、歌舞伎の納骨式、赤ちゃんの取り違えという3つのニュースを解説しながら、私は「社会の方向」が違うのではないかと感じ、少し言葉がスムースにでなかった。

 

社会の秘密は少ないほうが良い。特に民主主義では国民が主人で、さまざまな重要なことを判断しなければならないので、その意味ではできるだけ秘密は少ないほうが良い。だから、その意味で「今回の政府の法案は時代に逆行している」のは確かだ。

 

アメリカ軍との関係で秘密を保護する法律が必要ならそれを説明するべきであるし、これまでの法律で困るのなら、具体的にどのようなことが困るのかを指摘しなければならない。秘密保護法の批判も強いが、まずは「提案者の意思」を聞かなければならない。単に「日本には秘密を守る法律がないから」というような説明は説明になっていない。

 

歌舞伎役者の納骨のニュースが流れた。若くしてこの世を去った素晴らしい役者を悼むとともに、これも世の中が良くなる方向ということになると、世襲制から才能のある人に歌舞伎役者の登竜門を広く開けることが大切だろう。

 

男女共同参画と言われるけれど、まだまだあらゆるところに「差別」と呼んでよいことがある。その一つが日本の伝統芸、芸術分野での「親子」、「一家」などに限定されている社会構造がある。誰にでも門戸を開くことはやはり進歩のように思う。

 

三番目に赤ちゃんの取り違えで3500万円ぐらいの賠償金を病院が求められたという判決があった。確かに本人にとっては違和感もあっただろうし、実の親に戻されないというのはお錯誤でも罪は深い。

 

でも、そのニュースの中に「お金持ちの家に生まれたのに、貧乏な家庭に育てられたという損害」という話が出てきたときにはやや疑問を生じた。現在では生まれた家庭などで損得があるが、できれば子供は同じスタートに立たせたい。その意味では、お金持ちの家庭に生まれたらよい教育環境ということ自体が疑問である。

 

最近はお金持ちの子弟でなければ東大には入れないということが言われる。まさに格差は広がっているようだ。このニュースが「本当の両親のもとで」というだけならよかったが、子供が生まれてくる環境によって大きな損得があるようでは社会の未発達と言えるだろう。

 

非嫡出子の判決で、「子供は親を選べない」という理由で差別を不当とする判決があったが、それではこの世はあるところの差別は許されるが、特定のところだけ「子供の差別はだめ」と言えるのだろうか?

 

誰でも秘密が少なく、自由に職業を選ぶことができ、親が誰ということとは関係なく人生を送ることがよいのだから、秘密保護法ができれば「秘密が減り」、歌舞伎のことが話題に出れば「歌舞伎役者に自由になれるようになり」、赤ちゃんの取り違え事件がでれば「相続税を重くして誰でも同じスタート台に立てるようにする」というように常に「明るく進歩する方向」に進みたいものだ。

 

(平成251128日)