子供の理科離れが激しい。すでに高等学校で物理を履修する子供が10分の1になったとも言われる。少子化が進み、理科離れが拡大すると、日本で工業製品を作ることはできなくなるだろう。この重要な問題について、「子供が関心を持つように」と「理科の楽しみ」を教える教育が行われている。
でも、私はそんな小手先のところに問題があるのではなく、子供たちはその感性で正確に将来の日本を見ているように思う。ここでは「理科離れ」について深く考えてみたいと思う。
【基礎知識】
明治時代から昭和の初めにかけて、日本は技術立国をめざし、技術者の生涯賃金を、一般職に比べて10%高く設定していた。政府と産業界が協力してこの政策を進め、その結果、親は「できれば子供は理科系に進ませたい。職業も安定しているし、給料も高いから」ということになった。
それに応じて、「むつかしい受験」、「真面目に大学に行く」、「高い授業料」が理科系では当たり前になった。それは「就職しやすく、給料が高い」というのに裏打ちされていた。この辺の具体的な内容は15年ほど前に、工学教育協会の講演で詳しく話したことがある。
その時は、医学大学の授業料が医師の生涯賃金とリンクしていること、アメリカの修士、博士課程の卒業までの経費と、生涯賃金の関係などにも触れた。
つまり、教育にかかる費用は、その人が生涯に得られる所得に比例していることが大切で、それが「誠実な授業料の決め方」である。趣味で勉強する場合は別だが、現在では高等学校や大学では社会的にその人なりに活動できる能力を身に着けることが一つの目的になっているので、それに応じられないような場合は、入学の時に説明が必要だからだ。
戦後も技術系優位の状態が続いたが、石油ショック、環境問題とともに、マスコミが技術系の職場を「3K」と呼んだことから技術系の職場に少しずつ魅力が失われてきた。全体としても高度成長経済から新規技術や新規産業が出にくくなり、自動化が進んできたことも技術系職場の魅力を失わせてきた。また「コンクリートから人へ」の政策も技術系から人の方へと社会が動き、英語教育も技術系の若者に打撃を与えている。
日本が「技術立国」になったのは、単に掛け声だけではなく、それに応じた人材を教育機関が輩出してきたからだ。高等学校、高等専門学校、そして大学から毎年、卒業して社会にでる技術系の若者は11万人で、これはアメリカの6万人に対して約2倍、人口比では4倍にもあたる。
そして日本社会には常に250万人の技術者がいて、日本の研究、開発、技術を下支えしていた。この人たちはあるいは工場で、研究所で真面目に働いていたので、目立たなかった。そのために、だんだん文科系の一般職の方が優遇され、20年前には、技術系の生涯賃金(48歳までの標準職)は文科系の卒業生を下回り、就職率も低下して理科系の魅力は一気に失われた。
学会などは比較的、純粋な気持ちで若者に理科の面白さを教えようとしているが、これは「だまし」にならないか心配だ。社会は理科離れの方向に進もうとしているので、若者をその道に進ませるのは少し考えたほうが良い。
今後を考えてみよう。若い人は感性が高く常に未来を見ている。年配者が未来を見ることができないのは本能的なもので、人間は自分の寿命との関係で常に未来を見るからである。
日本政府は現在の一次エネルギー消費量6億キロリットルをさらに下げて、2050年には4億キロリットルという目標を置いている。これは、中国がかつて4億キロリットルだったのが、現在、14億キロリットル、さらに2050年には40億キロリットルまで上げようとしているのとはまったく逆で、「縮小社会」を目的としている。
つまり、現在、日本国は懸命になって「工業国」から「サービス産業国」への転換を図っている。この大転換にあたって本当にそれが望ましいかという議論はなく、単に「温暖化」とか「効率化」という当面の効果だけを問題にする。
しかし、「行為」はやがて「その結果」に直面する。技術の後退という政策が若者に理科離れをもたらしているのだ。日本は本当に「架空の仕事」で繁栄することができるのだろうか? すでに若者は理科離れという行為でそれを支持しているように見える。
(平成25年11月26日)