「2013112410451045.mp3」をダウンロード

 

日本がまだ民主主義とは言えない段階にあることはこのブログでも再三指摘しているが、最高裁をはじめとした一票の格差の判決を見ると日本の裁判所のレベルの低さを痛感せざるを得ない。

 

理由は「最高÷最低」という計算式の持つ意味と、「2倍なら問題」とする根拠の2つである。まず後者から問題にすると、一票の格差の裁判では裁判官が個人的な感覚で、2,3,4,5倍は不適切だとか、憲法違反であるとかの判決を出している。

 

ところが、その倍数(数字)の根拠はほとんど記載されていない。憲法でいう参政権などの基本的権利は、一人が物理的に一票しか投じられないと決めているわけではない。決めていればそれでよいが、決めていないのに裁判所が勝手に決めるということ自体が憲法違反のように見える。

 

たとえば、私は一人の票の重みは次のように決めるべきと思う。
1) 基本的には一人一票、
2) 選挙区ごとに一人が占有する土地の面積で50%までの増減を認める、
3) 選挙区ごとに、国民の三大義務(教育、納税、勤労)を果たしていない人の割合について50%までの減少を認める、
4) 18歳以上に選挙権を拡大し、自ら選挙権を放棄する手続きを認める、
5) 投票率が50%を下回った選挙は無効とする、
6) 通信手段の改善に応じて最大限の選挙区として、一つの選挙区ごとの候補者を増加させる(最低でも県単位)。

 

つまり憲法では「成人」で「普通選挙」をする権利を認めているが、普通選挙の定義は法律に任されている。かつて「高額納税者」に限定されていたが、最近では収入には制限がないが、立候補するときに高額の供託金を求められるので、「お金持ちしか立候補できない」という状態にあり、普通選挙というのは若干の問題がある。

 

まず、一人一票は原則だろう。これは基本的人権に相当すると思う。

 

しかし、日本国は土地の上にみんなが住んでいるので、ある選挙区では小さな土地に大勢の人が住んでいて(東京)、ある選挙区では人が少ない(地方)とする。その場合は、たとえば人口密度に対して一票に若干の差があるほうが妥当だと思われる。人口密度が2倍なら票の重みは1.1倍にするなどの比例関係を認める。

 

二番目の制限は、その選挙区で国民の義務を果たしていない人の割合が多い場合は、その選挙区から選出される議員の数を減らす措置をとることによって、「義務と権利」の関係をはっきりさせることができる。個人でも大幅で継続的な脱税があった場合には選挙権に制限が加わることも考えてもよいだろう。

 

現在は「成人」に限定されていて、その成人が20歳以上だが、親権が及ばない年齢を18歳以上にして、18歳以上の人が選挙権を持つのも適切と思われる。また、選挙区で子供の多いところは、子供の人権を認めてそれに比例して票の数を増やすことも可能と思う。

 

さらに、年配者などで「私はもうすぐ判断ができなくなるし、あまり長く生きる感じもしないので、若い人に選挙の権利を譲りたい」というように本人が自主的に選挙権を放棄する手続きを認めても良いと思う。

 

このような準備をしたうえで、投票率が50%を切った場合には、その選挙を無効にすることによって、「多くの民意を代表する」ということも現実的になるだろう。国民の18%しか票をとっていない政党が国会で絶対多数をとるというような選挙制度がまともとは思えない。

 

さらに、選挙する国民は「党」を選ぶのではなく「個人の代議士」を選んでいるのだから、大政党の場合は同じ政党の人が複数、少数政党ではほぼ全体の選挙区に候補者が建てられるように、少なくとも都道府県より小さな選挙区を作らないようにすべきだろう。

 

地方議会としての「県議会」があるのだから、それより小さな選挙区は無意味でもあり、通信手段の発達によって、一つの県内ぐらいはカバーでき、それによって「利権誘導選挙」が減ると考えられる。

 

もとよりこれらの選挙制度の改革とともに、「議員の人格養成」が必要であり、それには小学校の時代から「教えるべき倫理」を確定して物語などを通じて「誠実、正直、礼儀」などの徳目を教育しておくことが前提であることも間違いない。

 

単に2倍では不平等だということだけでなく、戦後70年を過ぎて「私たちはどのような選挙が望ましいのか」を積極的に議論する時期と思う。

 

(平成251123日)