日本の名画が「二十四の瞳」とすれば、私が選ぶ洋画の名画なら「スタア誕生」だ。それは「社会の波が幸福であるはずの人生を不幸にする」というのが「二十四の瞳」だが、「自分が良かれと思ってすることが自分を不幸にする」のが「スタア誕生」だからだ。
人間は、社会にしろ人生にしろ「良かれ」と思うことをする。自分で自分が損をすることや、間違っているということを選択するのはむつかしい。「スタア誕生」(私が言うのは1976年に作られた第三作)では、大スターのお気に入りになったある女優が、結婚しともに大スターとして成功する物語だが、最後は、夫の男優が自殺し、女優がなんとかカムバックするという筋である。
「さあ、望めばこの世はすべて君のものだ」と高層レストランのベランダから彼女を誘う男優。そしてそれは実現するが、本当のものになった成功は彼らに不幸を与える。人間とは不思議なものである。
必死になって練習し、ついに望みかなって巨額の賞金をとるようになったスポーツ選手はそれゆえに多くの愛人を抱え、転落する。「お金を使いきれなかった。あんなに苦しい思いをしてここまで来たのに、お金を使いきれないなんて」という心がさばききれずに人の道を外す。
「幸福になろうと思うと不幸になる」というのも、「不幸こそ幸福である」というのが現実であり、それをどうしても理解できないのが人間というものだ・・・それを「オズの魔法使い」でドロシー役をした女優が演じるところがまた映画ファンにとっては、もう一つの感慨を与える。
自分が間違っているということを人間はできるだろうか? 原子力委員会のある部会の委員をしているとき、「ここにいる方はすべて原子力は安全だと思っておられますが、国民の半分が不安です。だから、安全だと考えておられても危険だとして安全研究に研究費を出したらどうですか」と発言したことがある。
「自分が安全だと思っているのに、危険だと思うことはできない。そんなの矛盾している」と一蹴されたが、人間は「自分が正しいと思っていることは間違っている」と考えることはできないだろうか?
私は長く基礎研究をしてきたが、どこから見ても「こうなる」と思って実験した結果がそれと正反対になることを数多く経験してきた。その経験から私は「自分が正しいと思っていることは間違っている」と思うことができる。「今、正しいと考えていることは1000年後は間違っているだろう」とも思う。
これが人間の思考能力であり、矛盾したことだ。毎日、私たちは幸福を目指して、あれがダメ、これはいけないと言っているが、ダメと思うものが良く、いけないと言ったものが望ましい結果を与えるのではないのだろうか?
(平成25年11月17日)