ネットは私たちに貴重な情報を与え、買い物ができ、スマートフォンなどを通じて連絡や発信もできる。素晴らしいものだけに、それを悪用すると「悪の増幅」が可能となる。今日のニュースでは「闇サイト」で共犯者を募るブログで知り合った男たちが、小さな女子中学1年生を身代金誘拐したことが報じられている。
それと似たものが「匿名で他人をバッシングするサイト」だ。私は「自由」が好きなので、なんでもOKだが「匿名で他人をバッシングする」という行為には基本的な矛盾がある。矛盾があるものは良いものではない。矛盾とは、
1)「バッシング」というのは「自分が正しく、バッシングする相手が間違っている」ということ社会に訴えるための行為である、
2)自分が「正しい」と主張するためには、その人自身が正しいふるまいをしなければならない(批判の時のルールを下に示します)、
3)匿名は許されるが、反論の受け口が必要である、
などに悖っているからだ。
批判のルールとは、
1)相手が反論ができない性別、生まれ育ち、肌の色などを批判してはいけない。このようなものは批判されても反論が不能だからである、
2)批判の対象と異なることを批判してはいけない。たとえば、増税の批判の時に、人格を持ち出すなど。もし人格を批判するときは人格そのものを批判しなければならないが、それは望ましくない、
3)正当な批判でも相手に対等な反論の機会がなければ批判してはいけない。たとえばNHKが発信力のない個人を批判する場合には、相手がNHKで批判する機会を与える必要がある、
4)できれば批判する人は「匿名」ではいけない。特に社会的立場がしっかりしている人は匿名は認められない、社会的に何らかの理由で弱い立場でなければ匿名は許されない(匿名の人が公表されたとき、みんながわかるような人は匿名ではいけない)
などだ。
だから、現在のネットでのバッシングの多くはこのルールに反している。しかし、ネットを通じて普段の不満などを解消したい(他人を批判する目的が自らのストレス解消)という人もいるので、それをはっきりするために「脱倫サイト」(倫理に反することはわかっているが、それを承知で行うためにサイトの性格をページのトップに表示しておく)か、「他人を傷つけることで気分を良くするための気晴らしサイト」というように明確にサイトの目的を表示したほうがよい。
つまり、「正義を語るには自分が正義でなければならない」ということで、「泥棒は「盗むな」ということができない」という不文律があるからだ。これによってずいぶん、ネットの価値が上がると思う。
もしバッシングする人が本当に相手を「正しく」批判しようとする場合は、自分が正しくなければならず、その「正しさ」とは「内容の正しさ」ばかりではなく「行為の正しさ」も必要だからだ。不法に入手した証拠が裁判で証拠能力を持たないのと同じである。
(平成25年11月8日)