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今年は大げさな天気予報の言葉で右往左往させられた年だった。そのもっともひどいのが「昨日、一日で一ヶ月分の雨が降りました!」とアナウンサーが叫び、コメンテーターが「それは異常ですね!」と言ったときだ。

もともと日本の年間雨量は1700ミリぐらいだから、これを1年の時間で割ると、1時間あたり0.2ミリになる。一方、1時間50ミリぐらいの雨は台風や初夏の前線などが来ると1年に何回も起こることで、「昨日は、一時間で250時間分の雨が降りました!」ということになる。

日本の天気は普通は晴れか曇りで、ときどき雨が降る。それもしとしと降る雨が多く、大雨というのは1年に数回しかない。だから雨量を「平均」と比べて「何日分が一度に」というとみんなが誤解する。誤解を承知で言っているのだろう。

また、人の命に関わる「大げさ表現」のトップが、多くの死者を出した伊豆大島の「観測史上、最大の雨量(1800ミリ)」だ。このような表現が大災害を呼ぶということはこのブログでも書いた。それは「住民が正しい判断ができなくなる」ということだ。

日本は四方が海で、そこから蒸発する水が日本列島に降る。それが「瑞穂の国」であり、「田んぼが広がる豊かな国土」でもある。しかし、雨というのは常に「異常」で、平均的に雨が降るわけでもなく、またその方が晴れの日が多くなって植物も育つ。

日本列島のどこに雨が降るかは「雲がどこにあるか」できまるので、「場所」を特定するのは非科学的で意味も無い。たとえば、2004年に四国で1日雨量が1317ミリを記録している。しっかりした測定値だが「気象庁(アメダス)の測定値ではない」ということで記録から抹消されている。

有名な諫早豪雨(1957年。今から56年前。まだ日本は寒かった)でも1109ミリを記録しているが、これも農林省の雨量計なので、記録外になっている。参考までだが、この諫早豪雨では1109ミリを記録した地点から20キロぐらいしか離れていないところでは186ミリ(普通の雨)だった。豪雨が「局地的」であることをよく示している。

気象庁は「アメダス」に固執し、電力会社や農水省が測定した値などは参考にしていない。「科学」を「縄張り」で処理しているのだからデータも偏る。もっとも気象庁のアメダスに限っても今回の伊豆大島の降水量は「過去最大」ではない。

気象庁は一貫して「特定のアメダスで観測した値だけを比較する」という方針で、その結果、雲がどこかに行くと、常に「観測史上最高」になる。まるで「気象というのは狭い行政区などで分けるものではない」という初歩的常識もしらないように見える。

1時間80ミリ、1800ミリ程度の雨は日本では常に起こる。特に初夏の梅雨前線、台風の東側では豪雨は普通のことで、それも1年の降雨量が1700ミリ(1ヶ月140ミリ)だから、激しい雨が降れば「1日で数ヶ月分」が降るのもまた確かだ。

私が伊豆大島に住んでいたら、家族にこう言っただろう。

武田「どうも台風が近づいている。それも西側から来るので、大雨になるかも知れない」

家族「でも、この島では過去にあまり大雨がないそうよ。それは九州や四国の事じゃないの。お父さん」

武田「豪雨はそんな狭い場所で考えてもダメだよ。日本中、どこでも台風の雲が来たら1800ミリは降るのだから。避難した方が良いと思うよ」

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「記録的」というのは、台風では日本に接近したときに940ヘクトパスカル以下、雨量なら1時間80ミリ、1800ミリを超えた時にしか使わない方が良い。つまり、日本の自然で普通に起こることを「記録的」と言い、「異常気象」としていれば、対策は遅れ注意も散漫になるからだ。

自然現象は「科学」だから、科学的厳密さを身につけないと被害を出し続けることになる。

(平成251023日)