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「靖国神社にはA級戦犯が合祀されているので、戦没者の追悼には不適切である」という靖国神社の参拝問題は、日本人が言い出したものだ。

戦後の日中問題の多く、たとえば靖国神社の戦犯合祀問題、南京虐殺問題、侵略戦争説、そして慰安婦問題のいずれも、実は中国から発信されたものではなく「日本人の発案」によるものだから、中国に言わせれば「日本人が言い出したから、我々はそれを問題にしているだけなのに、なんで俺たちが日本からなにか言われなければならないのだ」という気分だろう。

靖国神社の「戦犯合祀」という問題は、「実際にそのような状態にある」という「事実」の問題ではなく、「架空のことを言葉で創り出している」という問題だ。

まず、なんで「戦犯」なのかというと、「東京裁判」という名前のついた「裁判ではないリンチ事件」を「裁判」と言い、そこで「有罪」になった人を「戦争犯罪人」と読んでいるに過ぎない。

まず「東京裁判」を「東京リンチ事件」と呼びなおす必要がある。というのは、第二次世界大戦後、日本が敗戦し連合軍が東京で「裁判」というのをやったが、裁判というのは、「裁判官、検事、弁護人、被告、法廷」があれば裁判になるのではない。

裁判官が人を裁く元となる法律があり、それに基づいて判決を下すことができる状態が現実にあることが必要だ。これに対して「リンチ」とは法律などの根拠がなく、その場にいた人が自分たちの勝手な考えで特定の人に罰を加えることで、かつてアメリカの西部で裁判をせずに「縛り首」にした伝統と同じだ。

西部劇ではそこに「保安官」なるものがあらわれ、「縛り首にしろ!」と叫ぶ民衆に対して、「法に基づいて裁く」となだめるシーンを何回も見たことがある。

東京リンチ事件では「ポツダム宣言を受諾した時点で、あらゆる国際法、人道上の法規などには、起訴された罪状について記載されていない」と再三、指摘され、現在では東京裁判というものは、裁判ではなく「リンチ」だったことに異論は無い。

次に「裁判」がなかったのだから「犯罪人」はいない。正しく言えば「リンチの犠牲者」だ。また「A級」というのは「偉い人を裁いた」とか「罪が重い」と思っている人が多いけれど、これは「リンチの対象となったこと」の種類でA,BCとわけたものである。

そして“A”とは「平和に対する罪」とされたが、そんなものはどこにも書かれていないので、リンチの過程でその場にいた誰かが叫んだものに過ぎない。

つまり「東京裁判におけるA級戦犯」というのを「言葉遊び」をせずに事実をそのまま表現すると、「第二次世界大戦後に行われた東京リンチ事件で戦争に関することで犠牲となった人たち」ということになる。

また、日本では神社というのは「特定の神様を祀る」ところだが、靖国神社だけは特定の神様を祀らず、「国ために命を捧げた人を祀る」ということで、このようなことはどの国でも「その国の権利」であることは言うまでも無い。そして、ほとんどの場合、その国の主となる宗教かそれに擬した形で行われる。

キリスト教の国が兵士の墓地に十字架を立てているが、それに異議を申し立てたり、まして他国がなにかをいうことは皆無である。

自分の国を守るために自らの命を投げ出した人に対して、後世の人がその人達を深く敬い、感謝する心を持つことはとても大切なことであり、善良な心でもある。

この問題は中国に端を発しているわけではないが、中国はいわば宗教がほとんどない国で、清朝が滅びて蒋介石の中華民国ができたとき、政府は清朝の天子の墓をことごとく爆破し、歴代天子の骨をばらまいたぐらいだから、祖先に対する気持ちは日本人とかなり大きく違うようだ。

言葉というのは恐ろしい。裁判でもないものを裁判と言い、犯罪人でも無い人を犯罪人と呼べば、あたかも「裁判で有罪になった犯罪人」という感じになるからすごい。というか、現在の日本人のように「頭の回転が止まっている」場合、特に「言葉」が大きな意味を持つようだ。

これから「東京裁判のA級戦犯」と呼ばずに、「東京リンチ事件で犠牲になった日本国のために命を捧げた偉人」と言い直す必要がある。

ところで、事実に反し、日本を貶める報道をつづけたのは朝日新聞で、靖国問題ばかりか、戦後のいわゆる「日中問題」はほぼすべて朝日新聞のねつ造であることも確かである。

日本人が思考停止に陥っていることを逆手にとって、言葉で事実を創り出す手法を今でも続けている。

「正しい歴史認識」とは「ねつ造」を含まない歴史の認識を言う。それにしても言葉一つでほとんどの人が錯覚するのだから、実に恐ろしいものだ。

(平成25104日)