「tdyno.405-(10:55).mp3」をダウンロード

2013922日、三連休の最終日の月曜日。朝刊の各社にはJR北海道の脱線事故と、7年後の東京オリンピックに酷暑が予想されることが載っていた。最近の大新聞が「事実を書かないこと」と「事実の解析をせずに人の劣情だけに訴える」というのが良く現れていた。

JR北海道の脱線事故はレールの距離が規定を外れているのをほったらかしにしていて起こったが、同様のことが100件ほどあるというニュース。ほとんどの新聞は「信じられない杜撰さ」とか「安全意識の欠如」などという見出しを付け、「識者」が異口同音に「信じられない」というコメントを寄せていた。

この事件には深い背景と戦後の日本社会が背負った十字架があった。読者はそのことについてしばし深い思いにふけることができたのに、軽薄な新聞記事で単なる「企業の批判」に終わっていた。

JR北海道の社長は2011年、つまり大震災の年の9月に自殺している。内地ではほとんど報道されなかったが、北海道の人は知っている。自殺の原因は定かではないが、JRの前進である国鉄という組織の腐敗、北海道という広大な場所の鉄道事業、それに過疎地の公共輸送といういくつかの問題を抱えていて、そのこととは無縁ではないと思われる。

膨大な赤字を抱え、労使関係が完全に破綻し、政治家が言いように国鉄を食い物にして、ついに国鉄はJR会社に分解された。当時の国鉄内部を知るものとしては、あれほど腐敗した組織は共産国家が崩壊すると同様に必然的に崩壊せざるを得なかった。

国鉄時代の象徴的なものの一つとして「一日一作業」というのがある。「人間はその日に何かをすると、それと違う種類の仕事はできない」というものだ。たとえば、その日に伝票の整理をした場合、それが午前中に終わっても、午後に別の作業をすることは非人間的ということだ。だからそんな日の午後はボッとしている。

このような馬鹿らしいことが現実に行われたのは、競争のない社会ではなんとでも屁理屈が言えるということ、戦後の左翼運動が「人間は仕事をするよりさぼっている方が人間らしい」という考えに凝り固まっていたことが原因している。

かくして膨大な赤字と腐敗した組織はJRとして再生して解消したように見える。でも、人間が原因していることだから、簡単には直らない。まして北海道は広く、狭い地域の過疎とはまた状態が違う。

JR北海道は必死に「事業体」として健全である姿に戻ろうとした。14000人いた従業員は半分の7000人に減らし、保線要員をできる限り営業に回し、自動車との競争に勝つために特急の本数を2倍にした。ほとんどの北海道の人は自動車を使うけれど、高校生などのために鈍行を無くすことはできなかった。

食糧自給率が200%で内地の食料を供給している北海道に対して、政府も内地の日本人もJR北海道の苦境に理解を示すことはなかった。JR北海道が正しい事ばかりをしていたのではない。でも、努力はしていた。旧国鉄の悪弊の中で、経営陣も、従業員も他の仕事から見たらサボっているように見えたが、長年の習慣からすぐには抜け出すことはできなかった。

そしてそれが、未だに「古い体質の労使紛争」、「社長の自殺」、「安全の軽視」などになり、今回の事件となったと考えるべきである。詳細を調べれば、まだまだ考慮しなければならないことがあるが、そんなことをすると木を見て森を見ずになる。

今回の事故は必然的に起こった事であり、良いことではないが仕方が無いことでもある。国鉄がJR北海道に変わり、そこに居た人が交代しないのだから限界はある。それに北海道の大地のサイズや気候は直ちに変わるものでもない。

人間は必死にやってもできないことがある。普通の人ができても腐敗した組織で長年、仕事をした人にとっては「一所懸命働く」と言うこと自体が難しい。JR北海道の事故は、戦後のインテリの左翼思想、北海道という所に対する日本人の無理解が生じたことであり、この際、深く考えて北海道を支援していく必要がある。

たとえば揮発油税だ。日本は国土が狭く、鉄道網が発達しているので、「自動車は贅沢」ということで揮発油税が高い。でも北海道は自動車がなければ生活はできないのだから、北海道こそが「ガソリンや自動車にかかる税金の減免」をしなければならない。

鉄道網が極度に発達している東京と北海道が同一の税率というのはいかにも不合理なのだ。この記事に書ききれなかった「酷暑の東京オリンピック」は別の記事に書きたい。

(平成25923日)