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息子が親父に「何、言ってるんだ!そんなの古い!」と言い、親父が息子に「まだ何も判っていないのに生意気言うな!」と叱っている風景は実に普通のことですが、実は、冷静に考えると、息子は「俺の時代はこれが正しい」と言い、親父は親父の時代の正義を言っているのに過ぎないのです。

親と子どもは人生を送る時代が違うのですから、当然、「意見」は合いません。親子の間は「愛情」があるだけで「考え」は違うのです。というか、考えが違うから子どもは親が人生を送った時とは違う「新しい時代」に生きることができるのです。

もし、子どもが親の考え通りとしますと、その子どもは「時代遅れの正義」を持っていることになりますから、社会生活はうまくいかず、人生は失敗するでしょう。

親は子どもに愛情があるあまり、自分の正義を押しつけます。でもそれ自身が子どもを時代遅れにし、子どもの人生を危うくしていることに気づいていないという事が判ります。

奇妙なものです。親も子どもも愛情があるのに、というか愛情あふれるが故に、相手がうまくいかない方向に引きずっていくのですから。

「親子の間で意見を一致させる必要は無い。ただ深い愛情があれば良い」と私は思います。ここではくわしく書きませんが、男女、つまり夫婦は深く愛することができますが、意見を合わせることはできません。

夫と妻は、男女という違いがあり、これまで生きてきた環境が違い、時として年齢が10才以上も離れていることすらあります。そして、年齢が経ても男性と女性では死ぬ時期すら違うのです。

女は答えを求めずに同調を求め、男は感情は要らずに解決策を求める・・・普段の夫婦の会話も、妻は夫に単に「そうなのか」という同調を求めているのに、夫はなにか相談をされているような錯覚に襲われて、頭を絞り、回答を見つけて答えると、妻からこっぴどく批判されてビックリするということは常にあります。

夫が正解と考える事と、妻の正解は違いますし、第一、多くの女性の場合は川のように周囲は流れていくものであり、決して、男の世界のように一つ一つにケリを付けながら進んでいくものではないのです。

それに男女の思考の差があるのですから、意見が合うはずもありません。親子と同じように夫婦も「愛情はあるが、意見は一致させない」ということが大切なのです。

家族関係で苦しんでいる人を見ると、その多くが「愛情があって、意見を合わせようとしている」、もしくは「愛情があれば、話し合えば意見は一致する」と錯覚していますが、この(1)でデータを示したように人の意見は25才で決まり、その後はいくら話し合っても変わるものではありません。

また子どもが親の意見に従えば、古い時代の価値観をもって生活することになって子どもの人生は破綻すると同じように、夫婦でも夫が妻の価値観で生活したら男社会では通用しないでしょう。

男性から見ると女性の社会的行動は実にワガママに見えますが、それは「正しくない」というのではなく、女性社会の正義と、男性社会の正義が違うということだけなのです。もちろん女性から見ると男性社会はだらしなく、ふしだらで、とんでもなく見えると思います。

違いがあるから親子、違いがあるから夫婦ですから、「愛情だけ、意見不要」で、子どもが何かを聞いてきたら「アドバイス」に止めるのがコツと思います。

(平成25920日)