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読者の方から、アメリカとの戦争に反対した日本軍の人を紹介していただいた。多くの人がおられたが、たとえば東条英機陸軍大将、栗林忠道陸軍大将、井上成美海軍大将などの軍人の言葉を教えていただきました。

二つ、考えました。
一つは、軍人は戦争を遂行して勝利をもたらすのが任務か、政府が決定した戦争に反対するのが任務かという問題、
もう一つは、一般的な仕事でも、自分の任務以外のことを軽々しく口にすべきかという問題です。

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シビリアン・コントロールという言葉もやや曖昧なところがありますが、戦争をするかどうかは選挙で選ばれた政治家が国会で決め、軍人は命令に従って戦争を遂行するというものと思います。

従って、軍部が独走して戦争を始めてもいけないし、反対に政府が開戦を決定したのにそれに批判的な言動も許されないでしょう。

自分が命をかけて戦っているのに、上層部が「この戦争は無意味だ。どうせ負ける」などと発言していたら、「そうですか。それなら攻撃を止めて投降しましょう。無意味と思っている戦争をするなど馬鹿らしいことです」と将兵は言うでしょう。

将兵は司令官の命令によって死をとして戦場で戦うのですから、口が裂けても司令官が「無意味な戦争」などと言うことはできないのです。任務を辞するか、辞することができなかったら自らの命令で死んでいく兵士と共に自決すべきです。

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第二の問題はもう少し広く、「人間の仕事というもの」です。

私が原子力の研究をしている時に、盛んに「止めた方がよいのではないか?」と多くの人に言われました。その時、「私が有望ではないと判断したら、私は職を辞します」と言いました。

どの研究をするかというのは会社の経営の問題であり、それに技術者が口を出すべきではありません。技術者は経営者への技術的アドバイスと、命令されたら技術的成功のために全力を注ぐことと思っていました。

技術や戦いの勝敗は、司令官の心が大きく影響します。司令官が「勝たなければいけない」、「成功しなければいけない」と固く信じていれば、それはやがて部下に伝わります。部下は前線で苦労しているのですから、「やるべきではない」と思ったら、職を辞さなければなりません。

私が技術の司令官の時、迷ったのはそれでした。特に後半、研究に疑問を感じたとき、「俺はやるべきか、止めるべきか、止めるべきならすぐ経営に言いに行って職を解いてもら分ければならない。」と悩みに悩んだことを思い出します。

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ところで、明治維新直前の英雄、吉田松陰の一節を私の著述物から引用したい。

・・・一八五八年、この年は吉田松陰にとっても特別な年であった。四月には反動派の井伊直弼が大老に就任し、九月には老中・間部詮勝が上京して志士の逮捕を始めた。事態は急速に進み、松蔭の心は燃える。

十一月には老中暗殺の計画を立てて、血判書を作り、資金の調達を計画する。これにはさすがの松蔭の門弟も「やりすぎではないか」と後込みをする。久坂玄端、高杉晋作、飯田正伯、尾寺新之丞、そして中谷正亮らの高弟の考え方は、いわゆる常識的なものである。

松蔭は無謀にも老中を殺害して幕府に打撃を与えようとしているが、時期が悪い。いま倒幕の旗を揚げたにしてもそれは失敗に終わるだろう。そのうちに混乱が来るからそのときを狙うのが上策である、というものである。

確かに、このような考え方は「普通の人」を納得させるには適当であるし、師を思ってかばう高弟達の思いは胸を打つ。しかし、松蔭は違っていた。

「沢山な御家来のこと、吾が輩のみが忠臣に之れなく候。吾が輩が皆に先駆けて死んで見せたら親感しておこるももあらん。夫れがなき程では何方時を待ちたるとて時はこぬなり。

且つ今日の逆焔は誰が是を激したるぞ、吾が輩に非ずや。吾が輩なければ此の逆焔千年経ちてもなし。吾が輩あれば此の逆焔はいつでもある。

忠義と申すものは鬼の留守の間に茶にして呑むようなものではなし。

江戸居の諸友、久坂、中谷、高杉なども皆僕と所見違ふなり。

其の分かれる所は、僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなす積もり」

今は時期ではない、というのは死んでも敵を打ち破る気概がなく、自分の立身出世も考えの中に入っているのじゃないか、何時死んでも良いのなら、今死んだらよい、という松蔭の言葉はそれが真実のものであるだけに、弟子の心をも貫く。

確かに、必要なものは必要なのである。やらなければならないことは何時やっても同じで、どうせならすぐやるべきである。人は多くいるのだから、自分が死んでもそれはかまわないではないか。自分の身の危険と関係ない我々には理解できることでも、当事者には判らないことだ。

それは、自分の意見がいかにも最もらしく見えてもその中には自分が大切であるという利己的な考えが入っているのである。それが渦中に居ても判ったのは松蔭、ただ一人である。・・・

もう少し、普通の歴史を考えて見ます。

(平成25915日)