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日本は自主的研究がないに等しかったので、「日本に建てても安全な原発」という研究がほとんど一つも無かった。

装置や機械の安全性というのは、万国共通ではない。原発の場合でもフランスは地震も津波もなく、川の上流に建設すれば塩害もない。国際的に安定していて近くにテロ国家などがなければテロの攻撃も少ない。

さらには工業が発達し、一般的な安全意識が高い場合は誤操作なども少ないが、まだ工業の安全性が高くないときにはミスをしても大丈夫なように原発を作っておかなければならない。このようなことは機械の制作側でも大きな問題になる。たとえば原子力では金属材料の溶接がとても大切だが、そこで最も大切なのは溶接工の健康管理である。溶接工が二日酔いのまま溶接作業を行うとピンホールなどの問題が生じることが判っている。

私が関係した原子力施設には大きく二つの会社が機械の製作に関係した。二つとも日本を代表するメーカーだったが、すべての溶接問題はそのうちの一つの会社だけに限定されていた.そこであるときに調査をしてみると、問題が発生しない会社は朝、溶接工が出勤してくると作業員の体調を聞き取り、アルコール検査をして仕事に就かせていた.

このように単なる形式的なことだけではなく、国防、気象、土地の形、国民の気質、工業の発達、管理のレベルなど全体としての評価が必要である.だから、アメリカで作った安全基準や方法などほとんど意味が無いのだが、福島原発事故の後、民主党政権は「ストレス・テスト」というヨーロッパ流の安全手法を持ち出した。これに対して日本のマスコミはその内容を吟味するのではなく、外国のもの(白人が作ったもの)として評価した.

今から50年ほど前も同じ状態で、「アメリカやフランスが作ったものは正しい」という信念が政府や電力会社にあった。その具体的な証拠の一つが現在、青森県にある再処理施設で、日本の核燃料動力炉開発機関が2000億円の研究費をかけて完成した技術があったが、電力は「国産である」という理由でそれを嫌い、フランスのサンゴバンという会社の技術を21千億円で導入した.この技術は青森にあるが、まだ正常に動いていない.

その公的な理由は「プロセスの中で日本が設計したものが不調」とされているが、肝心な中心部の技術を導入しても技術陣は全体を把握できずにトラブルがおこるものである。

すべては日本の後進性と文科系支配(専門性軽視)によっている。先回、書いたが、「安全か」と言うことが判らない人が「必要だから安全だ」と言い、その人が技術者をバッシングするという逆転現象がある間は日本が安全な原発を設計することができないのは当然でもある。

(平成2599日)