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(このシリーズは、最初に思想や先入観を持って歴史を見るのではなく、歴史を知ってから、その後に思想を作るようにしています。まだ私の心には明治維新から戦争までの一定の考えは確定していません。)

日露戦争が終わって朝鮮を併合した1910年までの日本は特に歴史的解釈に迷うところはない。ヨーロッパの植民地にならないように懸命だった。

日本が朝鮮を併合したのが1910年で、明治維新が1868年だから約40年。その後の日本の動きを見ても、おおよそ40年ぐらい経つと、最初の目的を達したり、第二段階に入ったりするようだ。

1910年から40年後の1950年には日本は敗戦し、軍事国家から普通の国家に戻った。それから40年後には経済成長が終わり、バブルが崩壊している。おそらく2030年にはまた新しい日本の時代が始まるだろう。明治維新から日本は大きく分けると次のようになっている。

明治維新から独立まで   40年 (1910年まで)
先進国のまねをした時代  40年 (1950年まで)
高度成長の時代      40年 (1990年まで)
環境ボケの時代      40年 (2030年まで)
・・・・・・

日露戦争がおわったころの日本は、少しの不満を抱えながらそれでも順調な日々を過ごしていたが、遠くセルビアでオーストリアの皇太子が暗殺されたことで戦争が始まる。つまりは第一次世界大戦である。

遠いヨーロッパで起こった事件だから日本も知らない顔をしていればそれもできたけれど、「力をつけた日本」だから、「参戦する」ということになり、イギリス側についてドイツを攻めた。

後に、日本の松岡外相がヒットラーにあって同盟を結んだことから、何となく日本とドイツは親しい関係にあったと錯覚している人が多いけれど、第一次世界大戦では日本はドイツと戦い、中国の青島やドイツが占領していた太平洋の島を全部、奪い取った。

さらに、上海事変のところでもう一度、出てくるかも知れないが、上海事変で中国に日本と戦うことを勧め、訓練したのもドイツである。つまり、日本はドイツと1915年ぐらいから1937年ぐらいまでの22年間は敵対していて、第二次世界大戦の少し前にドイツと急接近したに過ぎない。だからヒットラーが影で日本人を嫌っていたというのも頷けることだ。

第一次世界大戦はドイツとオーストリー帝国の敗北となり、日本はさらに国際的な立場を強め、中国への進出を加速していく。その典型的な外交が対支21箇条の要求と言われる武力を背景にした日本の中国に対する要求だった。

すでに清は辛亥革命の翌年の1912年に滅亡しているので、第一次世界大戦の時には中国は群雄割拠の時代で、代表的な政府は中華民国という状態だった。だから、中国の青島で日本軍とドイツ軍が戦ったのだが、中国軍が出てくるということは無かった。

日本にいると、日本の中で日本と関係の無い国同士が戦うなどということもありえないが、世界では多くあることだった。

また、第一次世界大戦で日本はドイツに勝って戦勝国となり、講和会議では白人諸国と並ぶことができた。つまり、日本は1920年にはついに「独立を勝ち得たばかりではなく、ヨーロッパやアメリカと同じ事ができる」という段階に来たのである。その時には、ヨーロッパやアメリカは「お手本」であり、「極悪非道な国」とは見なしていなかった。

日本は偉くなったのだ。今でもヨーロッパやアメリカを学ぶ風潮があり、知識人にその傾向が強いが、いわゆる反日日本人の人たちと同じ考えの人が1920年に「我々も偉くなった」と喜んだのである。偉くなってヨーロッパと同じ事をした、それが後に失敗の原因になる。

(平成25818日)