宮崎駿さんの作品に対して「禁煙学会」がクレームを付け、話題になっている。この問題について、考えて見たい。
学問は政治的、社会的な活動を行ってはいけない。憲法で定められた学問の自由は「内的・精神的自由」であって、それが社会的に何らかの影響を持つ場合は、「学問」から離れなければならないから、「学会」という名前を冠することはできない。
「禁煙運動実施会」などの名称なら問題はない。これも憲法で保障されている思想・信条の自由に属することだ。禁煙学会の人は憲法の思想信条・結社の自由に基づいて活動をされていると思うけれど、それには誠実な名称が必要であるのは当然である。
というのは、「喫煙」という行為はそれ自体は社会的にほとんど影響を与えるものではないが、喫煙を嫌う人に取っては問題であり、自分の思想信条を大切にするなら、他人の思想信条も大切にしなければならない。
また、他人のことを考えて喫煙を制限した方が誠実な日本人だという理由で活動をしている場合は、活動自体が誠実でなければならない。「学会」という名前は「学問的な研究をしている」ことを意味しているので、誠実な名称なら「喫煙学会」である。「喫煙」というのを学問的に研究すると「日本人にとってその益より害の方が大きい」という結論が得られるかも知れない。それは中立的、内的、精神的の範囲に限られるからである。
また「禁煙科学会」というのは医師を中心に行われているが、もし医学者として団体を作るなら「喫煙科学会」もしくは「タバコ学会」のような名称に限定されるし、医師(専門家)としての団体なら法令で定められた範囲に限定される。
裁判官も専門家であるが、裁判官が「死刑廃止学会」を作るのは一般的には好ましくなく、研鑽のための「量刑研究会」ならギリギリよいかも知れない。
私たちは学問の自由を守る必要があり、どうしてもかつてのナチスのように「ゲルマン民族優位学会」のような政治色や方向性、思想信条と学問を混合した活動や名称は好ましくないのだ。
禁煙学会、禁煙科学会の皆さんの誠意ある名称の変更、活動の変更を希望します。
(平成25年8月17日)