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1844年、中国でアヘン戦争が終わった直後にオランダ国王から徳川幕府の将軍宛の親書が来た。時の老中は前の年に天保の改革に失敗して退陣した水野忠邦に代わって、阿部正弘が老中の時代だった。

1844年 オランダ国王新書(幕府へ)

・・・(親書に書いてあったこと)このまま鎖国していると中国と同じようにイギリス、アメリカが戦争を仕掛けてくる。そうしたら植民地になる(親切に教えているというスタンス)・・・

日本人は「性善説」だから、オランダ国王が長いつきあいの日本を心配してのことと受け取るが、アーリア人はそうではない。当時、オランダで検討されたのは次のようなことだった。
・・・(オランダでの論議)このままでは日本はアメリカとイギリスに占領され、これまで250年間の国交と貿易の利益が無になる。日本を開国させれば少なくとも一部の利権は残る・・・

当然でもあるが、アーリア人はたとえ長い友人でも、自らの損得を優先する。そういう厳しい歴史を背負っているといっても良い。だから日本人のようにお人好しではない。これが歴史を見るときに日本人が間違うところでもある。

日本人は自らの道徳に反する反論に遭うと「そんなこと、言ってはいけない!」と激しく反応するが、アーリア人、中国人はまた別の考えなのだ。地球温暖化や生物多様性もそうだが、表面と真意は違う。

アジア、アフリカ、アメリカの中でそこに長くすんでいる人が独立していたというのは、日本だけ(シャムとエチオピアは特殊事情で除く)だったという事実はとても重要だ。

(平成25817日)