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個別の戦闘やその作戦などは日清戦争と同じく、多くの歴史書があるのでいつでも調べられる.私が考える勝因は、
1)国を守ろうと必死だった日本政府と日本国民、
2)乃木希典大将の軍人精神(どんな犠牲を出しても任務を遂行する)、
3)日本海軍の訓練と下瀬火薬、
と考えている.

戦闘全体を詳しく説明しないとなかなか理解が難しいが、私のブログでは「反日日本人」と「常勝ニッポン」のシリーズで詳しく書いている. 二○三高地の戦いでは死んでも、死んでも日本軍は要塞に突撃して陥落させたので、その後のロシア軍は「乃木軍と戦って勝てるはずもない.相手は死んでも、死んでも突撃してくるから最後は自分たちが殺される」と恐れて逃げてしまった.つまり戦争とは「どのぐらい効率的に目標を取るか」ではなく、「何が何でも勝った方が勝ち」ということだ。 

東郷平八郎の海軍の方は、訓練に次ぐ訓練と下瀬火薬という世界でもトップの技術力でロシア艦隊を全滅させた. 有名なヨーロッパの大海戦、レパント、トラファルガーなどと比較しても比較にならないほどの日本の大勝利だった.

この勝利で日本の独立が確定し、アジア諸国に与えた影響は実に大きいものがあった。

日露戦争の影響でもっとも大きいのは、ペリー艦隊が浦賀に来て以来、「日本は独立できるか」という心配がついに無くなったということである。しかも、陸軍も海軍も圧勝したので、お金は底をついていたけれど「簡単に日本を占領することはできない」ということは世界中が納得したからだ。

第二の影響は、アジア、アフリカ、アメリカの「非白人」の国はほぼすべてが植民地化、それとも白人の侵略に苦しんでいたので、その人達に大きな希望を与えたことである。

人間は頭脳も心もあるので、事実そのものも大切だが、その事実をどのように受け取ったかも同様に重要である。モンゴルがアジア大陸のほとんどとヨーロッパの東に侵入し、さらにその後、ヨーロッパにルネッサンスが訪れ、人間の力と精神が解放されて以来、世界的には常に白人が優位だった。

特に、ポルトガルとスペインが世界制覇をし、それに続いてロシア、オランダ、イギリス、アメリカが勢力を伸ばしていった400年間。有色人種は白人に勝つことができず、悲惨な状態に陥っていた。

多くの有色人種の国は「白人に戦っても勝ち目がない」とあきらめ、国内にはかならず白人にすり寄って自分だけ得をしようとする人が現れ、絶望のうちに人生を送っていた。

ところが、日本という東洋の小国がロシアという白人の巨大な国をコテンパンにやっつけたのだから、その衝撃は大きかった。「自分たちもやれるのだ!」ということがわかったからである。

トルコは今でも親日国であるけれど、トルコが日本を知り、親日国になったのはロシアをやっつけたこと、トルコの軍艦が和歌山沖で遭難したときに日本の漁民が命をかけて助けたことによる。トルコはロシアの南下に苦しんでいたからなおさら日本を見直した。

でもトルコはアジアでも特別な国で、オスマントルコという強い国を作った民族だから日本の勝利に勇気を取り戻したが、他の多くの有色人種の国は心の中で日本の勝利を喜んでも、なかなかそれが形(植民との解放)までには至らなかった。なにしろ白人の圧倒的な軍事力と過酷で巧妙な支配は簡単には覆すことができなかったからである。

それでも、「有色人種が白色人種の国に完璧に勝利して、ロシアは露骨なアジア進出ができなくなった」という結果はとても大きな影響を与えた。

日露戦争は日本にも当然ながら大きな影響を与えた。日露戦争が終わったのが明治38年。明治も終わり頃だった。日露戦争後、日本には次のような変化が起こった

1)明治に続く大正時代の繁栄と文化、
2)日露戦争を途中で止めて犠牲を払って勝ったのにそれほど良いことがなかったことに対する日本人の不満(外務大臣小村寿太郎への非難)、
3)日本もヨーロッパ勢と同じように力があれが外国を侵略しても良いという考えが台頭した、
4)日清戦争からの懸案だった朝鮮を併合した。

日露戦争のあと、近代日本の命運を決める2)や3)の考えがその後、どのようになったのかを整理して行く。

(平成25816日)