「日露戦争」は「日清戦争」と字は似ているが内容はかなり違う. 日清戦争は「朝鮮を独立させなければならないから清と戦争するか」という程度のものだったが、日露戦争は「日本がなくなるか?」という悲壮感をもって始めた戦争だった.
ロシアはモスコーからウラジオストックまでシベリア鉄道を敷き、まずウラジオストックを「東方の侵略拠点」とした。そこから満州鉄道利権を獲得し、旅順に軍港を作った. 旅順というのはロシアと中国の国境線からずっと中国の内部に入った港だから、もし中国が「独立国」なら到底、そんなことはできない。
さらにロシアは朝鮮のソウルまでの鉄道利権を求め、日本にものすごく近い釜山の横の鎮海湾に軍港を作ると宣言した.当時のロシアの皇帝はニコライ二世だったが、大ロシアには中国すら刃向かわずに満州を自由にさせているのだから、まさか東洋の小国・日本や朝鮮が抵抗するとは思っていなかった. 「日本との戦争にはならぬ。余が戦争したくないのだから戦争にはならない」とニコライ二世は言っていた.
ロシアはウラジオストックを「東方の拠点」として、そこから満州、旅順、朝鮮、釜山をまず攻略し、さらに佐世保、台湾へと進出する計画を持っていた。これは不凍港を持たないロシアの悲願でもあり、もしそれが実現していたら、ロマノフ家(ロシア皇帝)は安泰だっただろう.
案の乗、清と朝鮮は抵抗しなかったが、日本が意外なことにロシアに宣戦布告した.「窮鼠かかえってネコ」の諺通り、窮地に陥った日本はイチかバチか立ち上がったのである.
このように日露戦争は日本の自衛戦争だったが、それでも大国と大国の戦いが中間の弱小国の地で行われるという当時の例にならって、戦場は満州になった. 当時はまだ朝鮮は日本領ではなかったが、実質的に軍隊もいなかったので、日本軍は朝鮮に上陸、実質的なロシアとの国境である朝鮮半島を越えて満州で相対することになる.
日露戦争は戦略的な要点が決まっていた.
1)ウラジオストックと旅順にいるロシア極東艦隊を旅順港に閉じ込められるか?(旅順港封鎖作戦)
2)世界一と言われたロシア陸軍がまもる要塞(二〇三高地)を攻め落とせるか?
3)日本の戦争費用が尽きるまでにロシアが戦争を止めてくれるか?
そこで、日本軍は旅順港封鎖に決死隊を出し、二○三高地では乃木希典大将を指揮官にして、突撃につぐ突撃で攻撃した. 乃木将軍は「頭が悪い」とよく言われるが、本質は理解していたのだろう。つまり、自軍の損害を少しでも減らして敵に勝つのが普通だが、それ以上に、当時の日本にとったは1万人の「余計な犠牲」を払っても、とにかく二○三高地を落とす方が大切だった。
歴史の評価は難しい。二○三高地の戦いが終わった後では「もっと良い方法があったのではないか」ということになるが、戦っているときには「最終的に日本がロシアの要塞を落とせるか」がわからない。もし失敗したら全体の戦争に負けて日本が植民地になるかもしれないという不安のもとで戦っている。
結果的に日本軍が世界最強と言われるロシア陸軍を奉天会戦で破り、東郷平八郎連合艦隊司令長官が日本海海戦で大勝利を収め、ロシアは戦争をあきらめた.
(平成25年8月15日)