「nissin02tdyno.336-(9:57).mp3」をダウンロード

当時、つまり今から120年前の朝鮮で「このままで良い」という考えの人と、「近代化しなければならない」という人たちがいて、前者が中国(清)派、後者が日本派だった。日本も開国するとまもなく、もっとも近い朝鮮に関心が集まり、「朝鮮は清から独立して欲しい」という人たちが多く現れた。

朝鮮は日本では無いのだから、朝鮮がどのような政治体制でも日本に迷惑を掛けなければ良いという考えもあるが、現在でも「北朝鮮は独裁だから困る」という人もいるように、近くの国の場合、他人の国なのに影響があるので、どうしても口を出したくなるようだ。

中国は朝鮮を従来通り「属国」のままにしておきたいと思っていたし、日本は朝鮮が独立し、できれば「親日本」の政権、それが無理でも「中立的政権」を望んでいた.また中国やロシアが朝鮮にやってきたとき、朝鮮が独立国として戦って欲しいと望んでいた。

つまり、独立国なら軍隊をもって敵の侵入をある程度は食い止めるが、独立していない国では、敵の要求をそのまま飲むので日本が危険に陥るという考え方である.つまり、日清戦争は「朝鮮」を日本と清のどちらが支配権を握るかという戦いだった.

歴史的に見ると日本が一時、朝鮮に攻め入ったことはあったけれど、まさか中国のような大国と争うようなことは無かったので、戦争の直前には「勝敗は不明.かなり危険」というのが日本軍部の見通しだった。特に海軍は清が定遠、鎮遠という巨大な戦艦を保有していて、この戦艦は日本軍の戦艦では沈めることができないので、「不沈」であり、従って日本が制海権を取るのは難しいのではないかと予想されたのだった.

ところが実際に戦争が始まると、清軍は弱く、海軍もさほどではなく、圧倒的な日本の勝利に終わった. もちろん朝鮮は実質的に国の形を為していなく、自分の国の命運に関することなのに戦いには参加していない.

日本が思いの外、大勝利をしたので、朝鮮の独立、台湾の領有権、遼東半島の借款、それに3億円の賠償金を得た. 

日清戦争は、自衛戦争でもなく、侵略戦争でもなく、当時の常識にそった「普通の戦争」だった。今では考えられないが、当時は「強い国が弱い国を占領するのは当然。特に強い国の隣にある弱い国は、普通は占領されるか、支配される」と決まっていた. 

また強い国や大きな国の周辺には「国だったり、国ではない地帯」が多く、それが緩衝地域になって戦争になるのを防いでいたという意味もある. 中国の周辺では現在の新疆ウィグルのように中国に強い政権ができると中国領、弱くなると独立するということをくり返している地域もあれば、台湾のように中国が「化外地」という名前で「自分の国ではないが、すぐ外の野蛮な国」というところもあった。ロシアが進出したシベリアなどは「あまり人の住んでいない地域」だった。

だから「朝鮮」というハッキリした政府のない中間的なところを日本と中国が戦争して勝った方が取るというのは「普通のこと」だった。日本が日清戦争の後、尖閣諸島を領有するが、その3年後にアメリカがハワイ王国を軍事攻撃して侵略している.

ところで、日清戦争は戦争自体より、戦争の結果の方が次の日本の行動に大きな影響を与えた. 朝鮮は半分ぐらい日本の属国になったし、台湾や琉球などは完全に日本領になった)、精神的にはじめて大きな外国と戦って勝つことができたという自信を得た. その後の日本が世界の強国になっていったのも、日清戦争というごく普通の戦争に勝利したことが大きかったと考えられる.

(平成25812日)