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日清戦争というのは今から120年ほど前に、開国後まもない日本と、中国(清王朝)との戦いだった. 

ところで、学校で日清戦争を学ぶときには、まずは年号を覚え、なぜ戦争が起こったかということになると朝鮮情勢が問題になり、朝鮮で起こった事件と中国(清)が軍隊を出したとか、それに対して日本がどうしたということを事細かに学ばなければならない。

でも、そうこうしているうちに、「なぜ、日清戦争が起こったの?」とか、「その結果、どういう方向性がもたらされたのか」と質問されると多くの人は答えることができない。ここでは歴史の本質だけに絞って整理を進めていく.

覚えなければならないことは、僅かで

1) 明治維新から30年ほどして、朝鮮を巡って中国と争いになり、日清戦争が起こった、

2) 当時の中国は清という国だったので、日中戦争とは呼ばずに日清戦争と呼んだ、

3) 最初は日本が負けるのではないかという予想が大半だったが、戦争が始まると日本が勝った。

4) その背景は、「国民が国民だった日本」と「国民が国民ではなかった清」との差で、ヨーロッパで言えばナポレオン軍が強かったのと同じ理由だった。

当時、日本と中国に間に朝鮮があって、ほぼ無政府状態だった.それはこの写真でもわかるように首都の王宮の近くでもバラックが建ち、極貧の国民が生活していたことからもわかる.

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朝鮮がなぜ無政府状態だったかというと、李王朝ができてかなり時間が経ち、すっかり王朝が衰退していたことが第一だが、国際的に見ると、まず日本は徳川時代には鎖国していたから朝鮮がどのような状態であっても問題は無かった。

つまり朝鮮は清の属国にさえなっていれば、朝鮮の北の満州は中国だったので、ロシアもいないから実質的に軍隊すら持っていなかった。また、政府は、自分の国の人、つまり朝鮮の人が幸福かどうかなどまったく無関心だった.日本人は朝鮮の人を「自分と同じ人間」として見るが、中国人は中国人同士でも大量殺戮をくり返してきたことからわかるように他人を人間とみるという点では日本とかなり違う. 

先ほどの朝鮮の写真と見比べるために、同じ頃の日本の上野の不忍池の写真を示しておく。豊かで平和で楽しそうだ。

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日本と朝鮮は、当時、文化の程度が違うとか、軍隊が強い弱いの問題より、李朝が衰退した時期の朝鮮は「国民を大切にする政治」はなかったが、日本は徳川幕府から明治政府になり、国民は場合によっては世界一、豊かな生活を送っていた。

日本の豊かさにはヨーロッパ方面から来た外国人は一応に驚いた。それはアジアの多くの国で「貴族は豊だが、庶民は塗炭の苦しみ」という朝鮮のような状態と全く違っていたからだった。

……イギリス大使オールコック

「封建領主の圧制的な支配で庶民が苦労し呻吟させられているのは多くの国で見られる。だが、日本に来ると、良く耕作された谷間を横切って、豊かさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそうな住民を見て、これが圧制に苦しみ、過酷な税金を取り立てられて窮乏している土地とはまったく信じられない。

むしろ、反対にヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きの良い農民はいないし、またこれほどまでに穏和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるを得なかった。気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない」

……アメリカ大使ハリス

「日本人の庶民は皆よく肥え、身なりも良く、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もいない。―――これがおそらく国民の本当の幸福の姿と言うものだろう。

私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の幸福を増進するかどうか疑わしくなる。」

歴史家岡田先生によると中国の王朝、後漢の最後のころには中国人(当時の漢人)の9割が虐殺された(同じ中国人に)とされているし、最近の文化大革命でも数1000万人の中国人が中国人に殺されたと報道されている.他人にたいする感情は日本人と中国人では大きく異なる.

(平成2587日)