学校教育と言うのはもともと、国民が大人になって日常生活を送ったり、選挙で投票するときにその判断ができるために受けるものだ。
でも、「大学受験」というのが教育の最上位に位置づけられた結果、「大学入試が負担になるから」という理由で、本来なら必要な教育がおろそかになった。
その中に「地理、歴史」がある。
工科系大学の中には「数学と理科」しか入試科目にないところがあり、そこを受験してくる人は「地理、歴史」はまったく勉強していない。だから、「アーリア人がカスピ海の北から移動して」と言っても、「カスピ海ってなに?」ということになり、もともと歴史の勉強すら難しくなる。
高等学校ですべてを覚えるわけではないけれど、大人になって何かを知ろうとしたときに最低でも知っておく必要のあることは頭に入れておかなければならない。
もともと「科目が増えると受験の負担が増える」という論理自身が奇妙だし、まして「受験のために教育を変える」ということは教育の崩壊だ。
かくして、日本人がすべて知らなければならないような初歩的なことだけに絞っているこの「普通の歴史」でも、多くの人がこの地名は知っているかな?と思いながら組み立てていかなければならない。
「陰謀」とまでは判らないが、国民の判断力を失わせるために、高等学校の科目を減らしたのではないかと勘ぐりたくなる。
(平成25年7月25日)