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女性は25才から50才までに2人の子どもを「育て」ます。現在では、「男女共同参画活動」の一環として「夫が子どもを育てる」という動きもありますが、このシリーズの中で解説をするように、これは非常にねじれた現象で、何らかの形で修正されるように思います。

女性が子どもを産み、独り立ちできるまで育てるのは動物の原理原則で、それには私たち人間が「自然の一部」であり、「生物の一種」であることから避けられない、また望ましい形態です。このことは男性の一生との関係で考えていかなければならないのです。

「男性が子どもを産まないのは不当だ。男性に人工子宮をつけろ!」というような議論がありますが、その前に「生物を止めろ」と決める必要があります。

ここでは「なぜ、女性だけが子どもを育てなければならないのか」について、男性との対比で整理をするのは後にして、まず、人間の活動のうち、「子どもを産む」ということと「子どもを育てる」という2つの行為が最も「崇高」なものであり、「生きがい」でもあることをまず指摘したいと思います。

かつて、子どもを産むことと育てることが「報われないこと」とされた時期もありましたが、それは「子どもを産んだり育てたりする」という行為そのものの意味が低いのではなく、社会制度が間違っていたからです。

日本も誕生間近の頃は、女性が実権を握っていた。神代の時代には女神の天照大神がトップだったし、国ができてまもなくの頃にはこれも女性の卑弥呼が女王だった。そして、奈良時代の前まで天皇も女性と男性がほぼ交互に即位し、女帝の持統天皇まで続いた。

ところが、その後は日本は「戦争時代」が約1500年も続いた。もともと生物のオスは戦うために誕生したものでもあるから、戦争の時代になると男性が優位になるのは仕方が無いことだ。

その典型的なものが、「普通の歴史」の中に書いたアーリア人(今の白人など)で、4000年も前から他人の土地に侵入しては戦争を仕掛け、相手を皆殺しにして自分たちが住むという事をくり返してきた。だから「女は男の持ち物」という感じになり、「イブ(最初の女性)はアダム(最初の男性)のあばら骨からできた」とされていた。

このアーリア人思想の延長に、ウーマンリブ、女性解放運動、男女共同参画などがあり、あまり歴史をよく勉強しない人たちによって、多くの女性が幸福な人生を送るチャンスを失った。なにしろ「男と女の関係では劣等生(白人)」をまねて、「男と女の関係で優等生(日本人)」を混乱させたからだ。

ともかく、日本古来の思想「女性の25才から50才までで二人の子どもを育てる」というこれももっとも崇高で、自然の叡智を活かした人生を送ることがもっとも大切だった。

後で整理を進めるが、「子育て」という大切でかけがえのない仕事は女性が主として行うべきで、男性は補助的役割しか果たさなかったし、それが適当だった。

これによって女性が50才になるとき、子どもは次世代を運営する人になっていたのだった。現世代の仕事は家事や会社の勤務があるが、それより大切な子育ては次世代のためにやることだからだ。

(平成25年8月6日)