「ahentdyno.315-(10:50).mp3」をダウンロード

「優れた人が、平凡な人を殺すのは合理的である」という考えの基でヨーロッパ人による世界制覇が1500年から1950年まで行われた。

さて、ここでは歴史を話すのにできるだけ「年号」を書かないようにして歴史の筋道だけを示しているが、それでは何となく満足しない人もいるとおもうので、アジア、アフリカ、アメリカ大陸がヨーロッパの侵略を受けた年を少しまとめてみた。

アメリカ大陸 
   アステカ王国 1521年スペイン
   インカ帝国  1533年スペイン
    (ブラジル)   ポルトガル
   インディアン 1890年アメリカ(イギリス)

アフリカ大陸
    アンゴラ   1575年ポルトガル
    アフリカ分割 1884年ベルリン会議(順次、すべて植民地)
    リビア    1912年イタリア(最後の植民地)

アジア(主として東アジア)
    フィリピン  1529年スペイン
    シベリア   1626年ロシア
    インド    1761年イギリス
    インドネシア 1800年オランダ
    マレーシア  1862年イギリス
    インドシナ  1862年フランス

オセアニア

   オーストラリア  1787年 イギリス

   ニュージーランド 1769年 イギリス

中国(直接領有と利権、鉄道敷設権など)
    香港     1842年イギリス
    満州     1860年ロシア
    南部     1885年フランス
    青島     1897年ドイツ

ざっと見ると、ヨーロッパ勢の世界侵略がおおよそわかる。16世紀にはポルトガルとスペインが、18世紀にはイギリスやオランダ、ロシアが、19世紀に遅れてフランス、ドイツ、アメリカが侵略を拡大してきた。

細かいことを言わなければ、明治維新(1868年頃)の世界はほとんどがヨーロッパ人に侵略され、残された国は「中国の半分と日本」だけになっていた。このことが日本の近代史の基礎中の基礎になる歴史的な事実である。

明治維新を坂本龍馬や西郷隆盛を中心に考えるのもドラマチックで良いけれど、それだけではその後の日本の戦争や社会を理解することはできない。ある程度のヒントを与えてくれる人物としては、高杉晋作、久坂玄蕃、伊藤博文、山県有朋などを出した松下村塾の先生、吉田松陰だろう。

彼は山口の萩の地にいてヨーロッパ勢が中国に近づいてくるのを肌で感じていた。その中でももっとも大きな刺激を与えたのはイギリスが中国を攻撃したアヘン戦争だった。

1838年の春、イギリスのアヘン密貿易に手を焼いた清(中国)の道光帝は全国から有能な人材を登用し、その一人であった林則徐を採用してアヘンの禁止に乗り出した。林則徐はイギリスのアヘン船の強力な取り締まりに乗り出したが、利権を得ていた人々との間に軋轢を生じ、遂にイギリス艦隊の出撃となった。

その出撃決定の直前、イギリス下院では青年代議士グラッドストーンが政府の批判演説を行っている。

「清国にはアヘン貿易を止めさせる権利がある。それなのになぜこの正当な清国の権利を踏みにじって、わが国の外務大臣はこの不正な貿易を援助したのか。これほど不正な、わが国の恥さらしになるような戦争はかつて聞いたこともない。大英帝国の国旗は、かつては正義の味方、圧制の敵、民族の権利、公明正大な商業の為に戦ってきた。それなのに、今やあの醜悪なアヘン貿易を保護するために掲げられるのだ。国旗の名誉はけがされた。もはや我々は大英帝国の国旗が扁翻と翻っているのをみても、血湧き肉おどるような間隙を覚えないだろう。」

アーリア人のなかにもグラッドストーンの様な正義の人もいたが、それは少数派に過ぎず、結局、イギリスは遠征軍を極東に送った。

アヘン戦争は約2年に及んだが、最後の決戦は1842年作浦と鎮江で行われた。作浦の戦いではイギリス軍の戦死9名に対して、清軍は女子供を含み埋葬者だけで1000名を数えたと記録されている。イギリス軍は好んで女性、子供の殺戮をしたわけではなかったが、戦いの中で多くの女性子供が殺された。また、鎮江ではイギリス軍の戦死者37に対して、1600人の清軍が死亡した。まさに圧倒的な火力を使っての中国人の虐殺と言えるものである。

清は降伏し、香港の割譲、戦費など2100万ドルの賠償を支払うことになった(江寧条約:受験もないので覚える必要は無し)。勝てば官軍の時代である。イギリスは香港を手に入れ、賠償金までもらった。考えて見れば、他国にアヘンの貿易を迫り、アヘンの密輸を認めないと言う理由で戦争を仕掛け、圧倒的な力で相手の人を虐殺し、その上国土の一部を取り上げ、金まで取るというのだから、まさに世にも醜悪な江寧条約である。

このとき割譲された香港は10年ほど前に返還されているが、中国政府はイギリスの不当な「歴史的事実」について論評せず、返還の式典にイギリス元首相が列席して愛嬌を振りまいていた。アヘンの強制と100年の占領にしてはずいぶん寛容で、到底、日本とイギリスを同じ倫理観で判断しているとは思えない。

(平成25731日)