ここで少し難しい話をしたいと思います。それは「我々は祖先を非難できるのか?」ということです。
日露戦争を始めるとき、ロシアが満州で止まるのか、鎮海湾に来るというのが本当か、佐世保は取られるのか、日本が植民地になったらアジアと同じように女性は乱暴され若者は両手首を切り落とされるのか・・・すべては不明です。
日露戦争を始めて、世界最強の陸軍に日本陸軍が勝てるのか、日本を遙かに上回る戦力を持つ旅順艦隊とバルチック艦隊に日本海軍は勝てるのか・・・すべては不明です。
祖先は「不明の中で道を選んだ」のですが、後の私たちは「結果を知って祖先を批判する」ことができるでしょうか?
大東亜戦争は、ハワイ奇襲、マレー沖海戦、シンガポール攻防戦でいずれも日本が大勝利を収め、その時に、ハワイ奇襲の第三波を出して石油基地を叩き、シンガポール攻防戦の後、インドと一緒になってイギリスをインドから追い出していたら、そこで休戦になっていたでしょう。
祖先は「不明の中で道を選び」、私たちは「結果を見て祖先を批判する」ことを続けています。その時には「私たちと同等の判断力を持って正しいと思うことを選択していた」と思われます。
それを今になって批判できないと考えられます。まして「戦争に負けたから戦争は悪かった」という論理はまったく非論理的です。
(平成25年6月25日)