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さて、日本の戦争が「侵略戦争」だったか、「自衛戦争」だったかのもっとも難しいのは、1932年以後の中国南部との戦いである。でも、中国との戦いは明治以来、日本が戦った戦争の一部であることも事実である(ノモンハン事件のように軍事的意味は大きいものは除いてある)。

(1) 薩英戦争、四国戦争(明治維新直後の白人との戦い)
(2) 台湾事変(50人ほどの一般日本人が台湾に漂着して殺されたことに対して日本軍が出動した事件)
(3) 日清戦争(朝鮮の独立のために日本と清が代理戦争を行った)
(4) 日露戦争(ロシアの南下に対して自衛した戦争)
(5) 第一次世界大戦の参戦(イギリス側)
(6) 満州事変(清が放棄していた地域)
(7) 上海事変からの中国南部戦線(見かけは中国との戦い)
(8) 大東亜戦争、太平洋戦争(白人との戦い)

問題は(7)だが、ここで日本は中国軍と戦ったのか? それとも中国の地で白人と戦ったのか? それとも共産主義との戦いだったのか?

蒋介石率いる中国軍は、第一次上海事変で非武装の条約が結ばれた上海近郊に、ドイツ軍人の指導でトーチカ群(ゼークトライン)を築城。一方で、中国第36師団など4師団の軍事訓練、チェコ製の軽機関銃をそろえた(条約違反だが、反日日本人は語らず)。

4千人の在上海日本軍(呉、佐世保、出雲)に対し30万人の中国軍人を準備した上で日本軍を挑発して引き起こされたのが、第二次上海事変だ。戦闘開始直後、中国軍機は日本の民間人を狙って爆撃し、パレスホテルなどで730名即死、大世界娯楽センターでは避難した婦女子を中心として1000名が死亡した。

この戦いは日本軍にも旅順攻撃以来の犠牲者を出し、国際的にはニューヨークタイムズやヘラルドトリビューンが「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じるなど反日日本人の著述と全く違うのもまさに「反日日本人」である。

(平成25629日)