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100年前から70年ほど前まで、私たちの祖父、父母が頑張ってきた「戦争」=「日本の繁栄とアジアの独立」は決して全体としては侵略戦争と呼ぶようなものではなかったことがわかりました。

それを第一段階として、ややこしい問題も整理しておきます。それは日本の近くの国との関係です。

まず千島ですが、かつて日本とロシアの間で千島と樺太は両方が使っていたので、1875年に「千島樺太交換条約」を結び、樺太がロシア、千島が日本とした。だから千島は日本の領土なので、千島に日本が軍隊を置いたのは問題ではなく、まして侵略ではない。

次に台湾だが、台湾は日本が1895年に領有するまで中国の外部占領地であり、国として独立して存在していない。だから台湾は日本が最初の国でこれも侵略ではない。また日本は台湾のいざこざ(明治維新以来数回あった)で清国軍とも「台湾軍」とも戦ったことはない。

朝鮮は李氏朝鮮が清の属国だったのを、日清戦争で朝鮮を独立させたのは日本だった。ただ日本は朝鮮(大韓帝国)を完全に独立させようと為たのではなく、日本の外部国として半独立の状態にあった。また大韓帝国は自らの軍隊で自らの国土を守ることはできなかった。

朝鮮は1910年に日本に併合されているが、これは日露戦争の結果であり、後の満州国の設立と同じ意味を持つ。

満州はもともと清(中国)の出身地方であるが、清は支那に移動し、清の末期にロシアに割譲した。それを日本が1932年に独立させた。「独立させた」というと傲慢に聞こえるが、満州は自分ではロシアから独立できないのだから仕方が無い。まして中国は満州を見捨てていた。

中国は大国で近隣地域とは違う。でも、かつて中国は清が国の体をなしていなかったので、イギリス、フランス、ロシア、日本で分割していて、アメリカが商業的にはかなり進出していた。また、具体的な日中戦役のキッカケになった上海事変については別途、整理をする。

つまり、日本が日清戦争から大東亜戦争まで行った戦争の内、「侵略」と呼べるものは、せいぜい1932年の上海事変から1945年の敗戦までの13年間の中国南部戦線だけである。日本の戦争の10分の1程度に過ぎない。

だから「日本人」なら「日本が行った戦争の内、10分の1が侵略戦争だったが、その規模は欧米の侵略戦争と比較してきわめて小さく、またアジア諸国を開放したという功績との差し引きでは、侵略と言って非難するには当たらない」と言うだろう。

まして誇りを持った日本人なら「日本の祖先が行った戦争はアジアの国として輝かしいものであり、大いに誇りを持ち、一つ一つの出来事をよく勉強し、将来に役立てることが必要だ」と言うことになるだろう。

(平成25620日)