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大学入試(高校までの入試もその一つだが)をどうするかという問題は「個人と国家」という深いところに根ざしている。

日本でも大学入試のない高等専門学校生の方が学力が高いことはすでに客観的に証明されている。受験疲れと意味の無い試験問題の弊害は大きい。

すでにアメリカ、ヨーロッパは基本的には大学受験はない。高校時代の数回のテストのスコアーを使うか(アメリカ方式)、それとも大学はすべて同じでどの大学も行けるようにするか(ドイツ方式)、さらに全廃(フィンランド方式)がある。でも日本は日本方式でも良いので、誰でも希望すれば大学にいけるようにし、ただ卒業するには大学の科目ごとの試験を通らなければならないということにすれば良い。

大人は大学生に対する信頼感がないが、彼らは彼らなりにかなり考えている。大学受験が日本人の誠実さや学問的な力をかなり大きく損なっていることは確かだから、この際考えた方が良いと思う。

夏は沖縄の大学、冬は北海道の大学などで勉強して視野を広めることもできる。基本的には「大学は大学生のためにあり、国家のためではない」ということと「大学を卒業しているということは学歴として意味を持たない」ということでないと教育はできない。

事実、日本の教育は大きく失敗し、誠意のなく狡さだけに長けている人を大量に作り出してしまった。東大に悠々入学する人だけなら良いが、苦しんで入学した人はどうしてもウッズ現象が残る。それが社会の問題にもなっている。

東大の解体も実質的に大学受験を無くし、どの大学でも入れるようになり、学歴社会がなくなれば自然消滅する。

(平成2566日)