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憲法改正が論議されているとき、もっとも大切なのは「過去になぜ戦争になったのか?」を考えることだろう。

細かい事は後にして、日本が戦争に突入した瞬間は、1914年11月8日であった。この日、朝日新聞は日本軍の青島(チンタオ)占領を報じて、「愉絶快絶、狂喜」という記事を掲載した。青島を占領していたドイツ軍は降伏した。

次の日には、この記事に扇動されて提灯行列、大売り出しなどがあり、さらに朝日新聞は三宅雪嶺という当時の文化人に「青島を中国に返す必要はない」との論陣を張らせて、世論操作を行う。

実は戦いの前、日本政府と軍は「支那に還付の目的」でドイツを攻撃すると最後通牒で宣言している。この理由は形式ではなかった。それまでの日本は「領土的野心」を持っていなかったからだ.それに対して雪嶺は「返さなくてもよい。必要の前に法律無し」と論じる。

機会を見て、日清戦争、日露戦争と続いた「日本防衛戦争」の後に起こった、第一次世界大戦のことを話したいと思うけれど、ここではそれは割愛して、この朝日新聞の一連の「謀略」が日本を戦争に向かわせ、日中関係を決定的に破壊し、さらには日本が「ヨーロッパ人と同じ醜悪な帝国主義」への道を転がっていった瞬間だったのである。

もし憲法を変えるなら、その前にまず現政権は二度と再び「必要の前に法律無し」という論理を持ち出さないことを宣言する必要がある。因みに、明治時代に行われた二度の戦争では明治天皇が「国際法を遵守するように」と厳しく言っておられた。

(平成25年5月7日)