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欧米の言葉で「フェアー」、日本では明治天皇の「万機公論に決すべし」。

今日(20130325)の報道では、そんな記事にあふれていた。原子力委員会の委員が自分のNPOに電力会社のお金をたっぷりもらっていたこと、ある大学が厚労省の研究費を秘匿していたこと、全柔連が何もやらずに補助金だけをもらっていたこと、それにアメリカで日本の自動車部品メーカーがカルテルであげられたこと、の4つだ。

原子力委員だから電力からお金をもらっても法律には違反しない。厚労省からの研究費をどのように発表するのか明確に決まっていない可能性もある。柔道の指導などの報酬はもともとそれほど報告などの必要は無かったのだろう。そして、日本では企業の談合で消費者により高いものを交わせる談合は普通のことだった。

でも、それはすでに明治時代に否定されている。それが「万機公論に決すべし」という明治天皇の五箇条のご誓文である。すべてはオープンにして、そこで公明正大に戦おうでは無いか、人間だから心の中に闇はあるけれど、それを抑えて日本のために「万機公論に決すべし」ということだ。

人間は自分で額に汗して働き(額に汗するというのは肉体労働だけではない)、正当にお金をもらい、それを正しく使う。決して後ろめたいお金を他人からもらわず、もらったお金はつねに公開できる・・・そう言う「正しい人生」を送ることが幸福につながるという確信がいる。

もし、自分に力があれば稼ぎは多くなるだろうし、もしそれほどでも無ければ貧乏に甘んじることもある。でもそれはそれでよい。ただ、一つだけ望みたいことは「フェアーである」ということだ。

私は「誰々の子どもだから・・・」というのは嫌いだ。なぜ嫌いかというと、「誰々の子ども」だけなら良いけれど、有名な親を持たない子どもはそれだけハンディを負うことになる。だから、フェアーでは無い。かならず競争はフェアーに、オープンにしたいものだ。

ところが不思議なことに、力があったり恵まれたりしている人はとかく「ズル」をする。ズルをする必要の無い人ほどズルをする。江戸末期、日本に来たスイスの遣日使節団長アンベールは日本の印象について、

「若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせに更に金儲けに夢中になっているのを除けば、概して人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きているのを見た。」
と書いている。

人間は不思議なものだ。「大商人は莫大な富を持っているくせに更に金儲けに夢中」であり、「人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きている」。幸せは普通の人にあり、大商人は不満と恐怖のなかで生涯を終えるだろう。

「正しい」ということは人に幸福を与える。

(平成25325日)