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ヨーロッパ人は残虐で野蛮だけれど、日本人は心優しく、誠実で、礼儀正しく、人なつっこく、好奇心が強く、そしてすこし狡い民族で、全体としては他民族から信頼される「愛すべき人たち」だと思っていた。

でも、原発事故の後、日本人の野蛮性を目にして、現在ではかなり認識は違う。原発事故の後、民主党政権ばかりではなく野党だった自民党、福島県をはじめとした自治体、東大教授などの専門家、気象学会や医学会など、本来なら国民から尊敬されなければならない日本の指導層に深い野蛮性が見られたからである。

原始的な野蛮性は、問答無用で暴力的に殺害したり、女性をさらったり、人の土地を取り上げたりする行為であるが、少し狡猾になると「風評を立てて人に被害を与える」ということになる。

 

たとえばヨーロッパ中世で猛威を振るった「魔女裁判と死刑」があった。天変地異などがあると、普通に生活している女性を「魔女」に仕立て上げて火あぶりや縛り首にして、それで不運を解消しようとした。まさに、「正当なこと」をせずに「風評を立てて押し切る」という手法である。

原発事故に関しては、次のような風評がはびこった。
1)原発は危険なのに安全という風評を立てた、
2)日本人を被曝から守る法令があるのに「無い」と言って風評を立てた、
3)法令で被曝限度が11ミリと決まっているのに「決まっていない」と言って風評を立てた、
4)11ミリは「外部被曝+内部被曝」なのに、内部被曝をもたらす食品の安全基準を11ミリとした、
5)販売してはいけない汚染された食材を販売し、それに反対する人に「風評をまき散らすな」という風評を立てた、
6)法令で退避させなければならない危険地帯にいる人に「大丈夫」と言った、
7)「法令を守れ」という人を排除し、あるいはバッシングした、
8)法令があるのに、その20倍の被曝でも良いという外国の任意団体を持ち出して日本の子どもに被曝させた、
などである。

まさに、野蛮な行為そのものである。なぜ、日本人がこのように突如として野蛮な行為に走り、理性を持って呼び掛ける人をバッシングしたのは、それにはいくつかのトリックが使われた。

1)自然放射線が11ミリより高いというトリック(被曝による健康障害は「足し算」だから比較することはできない)、
2)世界には自然放射線の高いところがあり、健康だというトリック(中国、インド、ブラジルなどの自然放射線の高い地域の発ガン率は明らかでは無い(寿命が短い、統計データがないなど)、
3)広島原爆でも大したことはなかったというトリック(福島の爆発によってでた放射性物質が77京ベクレル(広島原爆の186倍)という政府発表をしながら、口コミで指導層を抑えた、
4)スピーディーの計算値を隠したり、ベント前の漏洩を隠したり、放射線量を少なめに発表したり、ストロンチウムなどの測定値を公表しなかったり、さまざまなデータ隠しをした、
5)食材の多くの測定をせず、また汚染された食材の行く先を公表しなかった、
6)気象学会が「福島の風向きなどを発表するな」と学者に制限した。

現実に、法令に反する被曝、食材、土壌汚染があるにも関わらず、「みんなで風評を立てれば、それで押し通せる」という魔女狩りと全く同じ手法を採ったのである。

このことについて今後も解析を進めていくが、ナチスがアウシュビッツでユダヤ人の大量虐殺をしたときの社会現象とまったく同一である。それは、1)権威(政府)が認めたこと、2)大勢が参加すること、によって残虐な行為や野蛮なことが、「自分の責任では無い。みんながやっているから」という言い訳ができるということによる人間の野蛮性、残虐性の発現である。

やや楽天的で、それほど丁寧ではない私でも、この2年、日本で生活する精神的苦痛は大きかった。このような野蛮な行為を見て、辛かった人が大勢おられるだろう。

これまでの日本社会でも部分的には野蛮で残虐な行為があったが、原発事故で見られたような残虐さは歴史的あったのだろうか? 日本史、日本社会の研究をされている学者の方の研究を期待したい。

時々、記事を書いている内になにかイヤになってくることがありますが、日本人というのはこうだったのか? それともアウシュビッツの後でドイツ人も同じ感覚を持っていたのかと複雑な気持ちでした。

(平成25222日)