「sinriikentdyno.62-(10:09).mp3」をダウンロード

この心理の教室の最初の「リストカット」で少し断定的に表現したので、配慮が足りないという指摘を受けました。リストカットに至るということは可哀想なことで、その苦しみは良くわかりますが、原因の一つを知ることによって少しでもリストカットする人が減ればと思った次第です。読者の方からのリストカットの説明をこの文章の後ろにつけました。

今回は「人間関係がうまくいかない」と悩んでいる人のために書きました。

この世に「正しい」とわかっていることはありません。多くの人は立場、経験、男女、年齢などが違うのですから、普通は「その人が正しい」と思うことは違います。AさんがCが正しいと言い、BさんがDが正しいと言ってケンカするほど奇妙なことはありません。

単にAさんはCが正しいと思っていて、BさんはDが正しいとしているだけで、どちらが正しいかはイエス・キリストかお釈迦様に聞かなければわからないのだから、そんなことでケンカをしてはダメと言います。

でも、これも不十分です。というのは、イエス・キリストとお釈迦様では「どの方が神様か」でご意見が一致していないからです。このお二人は私たちから言えばほぼ神様と言っても良いほど偉い方ですが、それでもご意見が違うのです。

・・・・・・・・・

一つ例題を出します。北朝鮮が核実験をした次の日、マスコミにでていたコメンテーターは「北朝鮮はケシカラン」の一本槍でした。もし私がその時にコメントするなら、「北朝鮮はなぜ核実験をしたか」という解説をします。

というのは、日本から見ると北朝鮮の核実験は「間違ったこと」に見えますが、北朝鮮は自分の意思で実験をしたのですから「正しい」と思っています。つまり、Aから見ると間違っていて、Bから見ると正しいのですから、A(日本)がB(北朝鮮)を間違っていると言ってももともとあまり意味が無いのです。

・・・・・・・・・

「自分は神様ではないのだから、自分が正しく相手が間違っているというのはいくら何でも傲慢」と思うことができたら、人とのつきあいはとても楽になります。

まず、第一段階は「自分とあまり直接的な利害関係の無いことは、人には人の考えがある」と納得してしまうことです。それには「相手も一人前の大人で立派な人だ」と思うことです。

第二段階は「自分といつも考えが違う。またズルもする」という人と、少しずつ長い時間を掛けて遠ざかることです。「君子危うきに近寄らず」ということで、もともと相手を説得することは難しいので、自分の位置を少し話すことです。

問題は第三段階です。自分と考えが違う人が、職場や近所ぐらいなら問題になりません。その人とのつきあいをほどほどにしておけば良いからです。この第三段階で大切なのは、「あまり関係が無いのに感情を高ぶらせない」と言うことでしょう。でも、世の中を見ていますと、あまり関係が無いのに、もしくは関係を薄くできるのに、かえって近づいて感情的にバッシングしている人もいます。

心理学で「女性は戦わなければ生きていけない」とも言われますので、バッシングが本人の楽しみということもあるので、一概に言えませんが、対人関係をうまくやろうとしたら、言わないことです。

そしてついに第四段階に入ります。「毎日、一緒に住んでいる人と意見が違う」という場合です。「嫁姑、離婚寸前の夫婦、ケンカばかりしている親子」などがこれに当たります。このような場合、どうしたらよいでしょうか?

まず、嫁姑や夫婦は「もともと同じ意見にはならない」という認識が必要です。人間は25才までに「何が正しいか」が決定します。それはおおよそ65才まで変わりません。このことはこのブログでも何回か書きました。

だから、嫁姑、夫婦、親子で「意見が合う」ことが珍しいのです。このことが相互に理解できれば、夫婦の場合は「まず相手に譲り、次は自分の考え」というように半々が良いでしょうし、嫁姑はその家庭の役割がどのぐらいかによって割合をなんとなく決めることができれば最高です。

親子は「親に親権のある間は親を正しいとする」というのが基本ですが、13才以上になると自我が目覚めますから、親は子どもの自我の形成を大切にしながら徐々に教育していくのでしょう。

いずれにしても、人には人の「正しさ」があるという事実を心の底から理解すると、人との諍いは半分以下に減ると私は思います。

【前回の心理の教室(1)についての読者の方からのアドバイス】

「不幸の連鎖」としてのリストカット

リストカッターは人間不信で他の人への敵愾心をもっています。それは、親から愛されなかった経験から、他人も自分を無価値に扱うだろうという警戒心、また、幸せそうに生きている人に対する嫉妬心からくる憎しみと敵意があるので「なんで他人に親切を示さないといけないんだ」という気持ちから、席を譲らないのだと思います。

そうして、憎まれるような行動ばかりとるから「集団のアフォーダンス」を得られないせいで、ますます自己肯定感がなくなって、さらに酷い精神病をわずらうようになる。

(平成25217日)