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日本のお城は実に奇妙である。なにしろ城がとても小さく、どんなに大きな名古屋城、熊本城なども1000人も住めないぐらいの大きさだ。それに対して、外国の城というとまったく規模が違う。中国では北京城、南京城、トルコのイスタンブールの城、フランスのパリの城壁・・・どれもこれも威風堂々として、城の中に数万人から数10万人の市民を全部、収容できる。

なんで日本の城は世界でももっとも小さいのだろうか?

外国の城には市民が住んでいたが、日本のお城には不思議なことに殿様一家しか住んでいなかった?! 

簡単に言うと、外国の戦争は「領土獲得より、奴隷獲得」であり、日本の戦争は「領土獲得だけ」だったからだ。

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ギリシャの昔から「人間は労働をすべきでは無い。労働は下賤だ」と多くの国は考えていた。今でも日本以外の国では「人生の設計は?」と質問すると「45才までに財産を築いて、遊んで暮らす」と答える。ところが日本だけは「60才で定年を迎えて、お金があっても仕事をしたい」と言う。

この整理には直ちに異論があるだろう。主として中世ヨーロッパのプロテスタント思想と、近代共産主義の勤労の義務があるからだ。

労働は人生、もしくは地中海周辺では原罪との関係が難しい。それは「労働」と聞いて人が何を思い浮かべるかにもよる。たとえば、湿っぽく暗い船底に閉じ込められ、鞭で打たれながら船をこぐといった労働を思い浮かべると「労働は神様から罰を下されているもの」と感じるけれど、長閑な春の日に田んぼの畦でおにぎりを頬張り、お茶を飲み、そしてタバコで一服する光景が浮かぶ人は「労働は人生そのもの」と思うだろう。

日本のような単一民族、それに温帯の島国で異民族の外敵もほとんど来ないというところでは、「温暖な気候のもとでみんなで働こう」と言うことになるから、「人間は原罪があるから、労働という罰を受けなければならない」などという難しいことを考えなくても良い。

日本の知識人の中には「知識」だけで教育を受け、知識を元に「考える」というプロセスをおろそかにした人たちがいて、「労働とは***である。お前らはヨーロッパの歴史を知らないのか!」と居丈高にいうので、ついついヨーロッパ流の考えになってしまうが、実は、一つ一つのことにはその国の風土や民族性に深く関係しているのである。

労働は苦痛では無いという考えだった日本人は、戦争で領土を広げる必要があっても奴隷を獲得することは目的ではなかった。そこで、戦争というのは武士だけの問題で、庶民は戦争の間は山の方に逃げておけば良かった。庶民にとってどちらの殿様が勝っても、生活にはほとんど影響が無かったからである。

殿様に取っては織田家か、豊臣家か、徳川家かは生死を左右することだったが、庶民は殿様の御紋がすこし変化するだけのことだからだ。戦争で守らなければならないのは殿様一家と重臣だけであり、かくして日本の城は世界でもまれに見るほど小さいものになったのである・・・

(平成2529日)