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最後の決定的に重要な問題は、事故で多くの人が低線量被曝をするが、この領域の被曝と健康への影響がわかっていないということである。そのもとで原発を稼働するというのはどういうことか、もう一度、考えなければならない。

これについて私は「日本の法令で定められた11ミリシーベルトという限度を守れ」と言ってきているが、アメリカの雑誌やICRP(外国のNPO)を根拠に「日本の子どもたちにもっと被曝させて良い」という意見が絶えない.

なぜ、日本の子どもたちを白人の雑誌や任意団体の判断にゆだねて、日本の法令すら無視しようとするのか、到底考えられることでは無い. 現実に事故による被爆が起きたら、法令よりアメリカの雑誌記事を優先するのではダメなことは言うまでも無い.

その点では「日本の子どもたちの健康を、日本の法令によらず外国の意見に従え」と言う日経新聞、温暖化報道を続けるNHKなどは不買運動を展開しなければならないだろう。ある程度の誤解やミスは仕方が無いが、これほど組織的で長期間、法令を破る行為を続ける「準公的組織」を認めるのは、アウトローを容認するのとほぼ同じである。

「インテリ・アウトロー」とも言える。どのぐらいの被曝でどのぐらいの健康被害がでるかは「学問的に不明」な状態にある。医師が一人一人の患者に照射した場合、かなりの線量まで大丈夫そうだということと、集団が低線量を被曝したときに障害が出るかどうかは別の科学的事象である。

すでに肺のレントゲンを使った児童の集団検診が、白血病を増大させたとされていて、レントゲン検診は選択するようになっている。またウクライナ、ベラルーシの人口が、事故後に、死亡率の増大と出生率の低下で見られることも明らかである。

せっかく原子力安全委員会を廃止して規制委員会を作ったのに、ここに示したように、全く従来の手法やいい加減な論理のもとで原発再開が議論され、基準が作られているのは日本の将来にとって最悪の状態である.

ところで、このシリーズでお話をしたことは専門的なので、本来は「日本のために専門家が」議論しなければならないが、日本の専門家は崩れてしまっている。たとえば、今回の規制委員会でも政府の人選で委員が決まり、検討する委員も「体制派」ばかりである。

そこには「学術的」、「レベルの高い」議論はすべて排斥され、自由で学究的な雰囲気はまったくない。それは日本の「科学の力が弱い」ことによる。私は専門家の一人として何とかこのような状態を教育の改革と技術者の良心に訴えて改善していきたいと思うけれど、再開問題は間に合わない。

相変わらずほぼ「密室」で「推進派」だけで決定し、それを「パブリック・コメント」を求めて、形式を整え、どんな非科学的なことでも強引に通してしまい、事故が起こったら、隠蔽するというプロセスが続いている。

活断層の議論などはまさに「素人だまし」のものであり、このような枝葉末端のことに目を奪われていたら、原発はまた事故を起こすだろう。断固、日本のためにも、子どものためにも、経済のためにも、誠実な社会のためにも一人一人が立ち上がらなければならない。

(平成2521日)