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第四に、原発の安全に関する3つの大きな「論理的矛盾」を新しい基準で解決しておく必要がある。

まず、東京で消費する電力を300キロほど離れた新潟と福島で製造し、送電線で東京に送っているのは原発が危険であるからに他ならない. 現実に著者が安全委員会の専門委員の時に強く感じたことだったが、安全投資が議論される時には「どうせ、地方に作るのだから危険でも良い.そのことは金をもらっている地方はわかっている」という暗黙の了解があった。

このことは一見、「経済的」に見えるが、それが今回の福島原発事故の一因になったことは間違いない。地方に作るのだから危険でも良い、その分だけ危険手当を出しているのだから、というのは安全技術上は最も忌避しなければならない考え方である.

「これなら原発は安全だ」という基準は「東京に作っても」なのか、「地方なら」なのかをハッキリ明記する必要がある。もし「東京に作っても安全」と明記されたが、次の原発は、東京、大阪、名古屋にまずは作るべきである。

福島の人は「お金が欲しくて危険を承知で原発を誘致した。大人ならお金をもらえばそれが危険手当であることぐらい知っている」ということは多くの人が心の底に持っていることで、それを福島の人への非難には使いたくないが、これからの被害を無くすためには福島の人もどのように考えていたかを明らかにして欲しい。

「安全を信じていたが、お金は受け取った」というのは理屈に合わない。立派な人は「理屈に合わないお金」は「自分のプライドに反するお金」は受け取らないのは日本の文化でもある。堅気の女性は自分の体が目当てのお金を受け取ることを拒否するはずだ。

5項目では、現代の日本の工業界において、新設工場から出る廃棄物をその実施者が自ら処理できない状態で運転が認められるというのはおそらく原発だけだろう.水俣病の例を挙げるまでも無く、現代工場はその原料から製品、廃棄物に至るまで100%の責任を実施者がもつからこそ事業である.日本の電力会社は巨大で、人材も豊富、研究費も電力費の0.15%をあてるという好条件にあるのだから、自ら廃棄物の処理をするのは当然である.

今、日本には原発の使用済み核燃料が130万本あると推定されるが、この危険な廃棄物を子孫に送るのは不適切である。「危ない者は子孫に」という考え方は日本の文化には無い。

すでに2012年にはアメリカの新規原発が「廃棄物をしまうところが特定されていない」という理由で建設を止められている。電力会社は自らの行動に責任を持ち、原発を再稼働するなら廃棄物の処理と埋設を自らの力で実施することは最低の義務であるし、社会も電力に甘くすることは日本の発展に良いことでは無い。

私は「子どもを守る」という点から、「危険だから核廃棄物は子どもに任せる」という考えを到底、容認できない。

次に第6項目だが、安全に万全を期している大型客船でも左舷と右舷にすべての乗客を収容できる救命ボートを備えている.原発事故に対しての救命ボートを備えずに原発を再開するのは見識がないとされても仕方が無い.

福島原発事故を「教訓」とするなら、原発事故に備えて、1)避難用のバスを準備する、2)緊急時の住民の避難場所を確保する、3)原子炉への注水設備を強化する(必要な水量を注水できるようにする)、4)疎開用の学校を建設しておく、5)食品・瓦礫などの汚染限度を定めておく、6)除染方法を技術的に確定しておく、7)緊急時の赤ちゃん用の水を準備しておく、など多数が未着手である。

福島原発事故後、電力幹部と話をしたら、上記の7項目などはまったく電力に関係がないという態度だった。その理由の一つは、原発は国がやっているから国の責任だということと、福島原発は「希な事故」であり、二度と再び起こらないという意識が見えた。

福島以外でも、震度6の地震で7発電所すべてが破壊されているし、茨城の東海第二は全電源が止まって爆発寸前まで行ったと言われている。でもこれらは「闇の中に葬られている」が、それは「電力は心の中では爆発があるだろうと思っている」ことを示している。

どうしても、爆発時の準備が必要だ。

(平成2521日)